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タフィ・ローズの〝退場物語〟は全14話 1試合2度退場の珍記録も樹立【平成球界裏面史】

東スポWEB / 2024年12月22日 9時4分

退場判定にブチギレのローズ、左はクラーク(1998年7月)

【平成球界裏面史 近鉄編84】平成14年(2002年)に「退場」というキーワードで個性を発揮してしまった近鉄最強助っ人のタフィ・ローズ。現在のようにリクエスト制度が導入されていれば防げていたのかもしれないが、NPB史上最多の14退場を誇るタフィの「退場物語」を振り返ってみよう。

平成8年(1996年)からNPBでプレーし、1年目から3本のサヨナラ本塁打を記録するなど日本野球に順応。全試合出場、チーム三冠王と結果を残し欠かせない存在になっていた。そこから近鉄、巨人、オリックスの3球団で計13年間、NPB生活を送るのだが、1年1回より多いペースで退場を経験している。

まずは近鉄2年目の平成9年(97年)4月19日の西武戦での出来事だった。同点の4回無死一塁、フルカウントから西口文也の内角低めを見逃し。しかし、このボールをストライクと判定されると、ローズは激しく中村稔球審に詰め寄った。

この場面では侮辱的発言があったとして退場のコールを受けた。怒りをあらわにしてベンチに引き上げたローズ。ベンチでもロッカーでもバットをそこら中にたたきつけ鉄扉をヘコませるるなど大暴れだった。これが記念すべき初の退場となった。

さらに翌年の平成10年(98年)7月1日の日本ハム戦でもストライク、ボールの判定で噴火している。9回に山村達也球審の判定を不服とし暴言を吐き退場。「◯ァック」の禁止用語を思い切り浴びせた上に、同球審の胸を突いたため1試合の出場停止処分も課せられた。

重ねて平成14年(02年)3月12日の日本ハム戦ではオープン戦なのに退場。同年4月30日の西武戦では、1試合で2度退場の珍記録も樹立してしまった。

平成15年(03年)には当事者ではないにも関わらず退場になった事例もあった。5月21日の西武戦の5回二死満塁で中村紀洋が青木勇人から死球を受けた場面だ。一走だったローズは青木の背後から体当たり。青木はを吹き飛ばしてしまし頚椎(けいつい)捻挫、後頭部打撲などのケガを負わせてしまった。

ローズの言い分では帽子を取らなかったことが原因ということだった。だが、それと青木への暴行とは話のスジが違う。当然、西武サイドは傷害罪の疑いも視野に刑事告訴を検討。当時の西武・小野賢二球団社長は「第三者が入ってくる理由は何もない」と厳しく断罪した。

罰金30万円の近鉄球団からの独自処分がなされため、告訴こそのがれはした。だが、追加でパ・リーグからは2試合の出場停止処分。中村ノリへのチームメート愛が高じての行動だったとはいえ暴力はNGだとお灸を据えられた。

当時を知る近鉄関係者によれば「『仲間思いで熱い男なのはわかる。でもな、タフィが退場してしもて打線から抜けると戦力ダウンなんや』。そう促されると深く反省しているそぶりを見せてましたね」とのことだった。

だが、ローズの勢いは一向に止まらなかった。平成15年(03年)限りでローズは近鉄を退団し巨人に移籍。平成16年(04年)に球団合併を経てオリックスバファローズに名を変えた古巣と、平成17年(05年)の交流戦で対戦するのだが、そこでもローズはやらかしてしまう。

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