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【吉田秀彦連載#13】格闘技の道へ「仕事」として柔道でどこまでやれるか試したかった

東スポWEB / 2024年12月23日 16時9分

ホイス・グレイシーと会見でにらみ合う吉田秀彦(02年7月)

【波瀾万丈 吉田秀彦物語(13)】2002年4月に柔道を引退しました。自分は新たに格闘技の道を選びました。当時、PRIDEを仕切っていたのは榊原信行さん(※)で、自分とは地元が一緒なんです。名古屋駅からローカル線に乗って駅を降りたら反対に行くだけ(笑い)。バラさんとは地元も近いし、PRIDEもサクちゃん(桜庭和志)の活躍で人気が出ていたころで、そうした縁からオファーが来ました。

「こういう舞台で、自分がやってきたことが仕事になればいいな」。そう思うようになりました。自分がリングに上がることで、柔道に対して世間が目を向けてくれるようにもしたかった。柔道のいい宣伝になるんじゃないかと。柔道普及の一環として、02年6月に柔道場「吉田道場」をオープンさせました。

格闘技に行くより、先に道場で柔道を教えていましたから、自分としては「格闘技をやる」というより「仕事」として行っただけなんですよ。山下(泰裕)先生や斉藤(仁)先生のような柔道で指導者に? そのつもりはありませんでした。全日本の監督、コーチとか性格的にああいうことをやるタイプじゃない。

もちろん、柔道が嫌いになったわけではない。柔道があったから格闘技の話が来たわけだし。山下先生、斉藤先生らがやられていた全日本の監督も、すごい仕事だと思います。でも、それは自分じゃなくてもできる。というか、できる人はいたんで。自分は「そこに立つ器じゃないな」とも思っていました。

人と違ったことをやるのが好きということもあったし、柔道はできなくなったけど、体はまだ動いた。たまたまPRIDEから話があり、まだ柔道を見せられる。PRIDEという戦場に行くことが仕事になるなら「それが一番だ」と考えるようになりました。仕事として、柔道で鍛えた体でリングに上がり、柔道でどこまでやれるか試したかった。だからその決断は、自分にとっては「職業選択の自由」でしかなかったんです。リングでも柔道衣を着続けたことも、それが一番ですね。

決めたからには練習内容もがらっと変えました。初めてだから、やっぱり難しい。打撃もそうだし、柔道では使わない筋力を使う必要がある。殴り合いのため真剣にキックボクシングに取り組み出したら、すぐに筋肉痛になりました(笑い)。

打撃は空手の先生に習ったんです。基本的な蹴りを学び、ボクシングはトレーナーに教えてもらいました。あとはK―1でマーク・ハントを教えていたトレーナーにも教えを請い、そういう人たちから根本的に鍛え直されましたね。めちゃくちゃ、きつかったですよ! 今となれば、あの年でよくやったなあと(笑い)。

※格闘技イベント「RIZIN」の最高経営責任者(CEO)。

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