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【石井館長連載#1】大みそか興行きっかけは2000年「INOKI BOMーBAーYE」勝算はあった

東スポWEB / 2024年12月24日 11時9分

リング上で「ダーッ!」をする猪木さん(中央)と石井館長(右隣)

【石井館長が明かす年末格闘技の舞台裏(1)】1993年に創立した「K―1グランプリ」や2002年の「Dynamite!」など、格闘技ファンを熱狂させる格闘技イベントを手掛けてきた正道会館の石井和義館長(71)が明かす「年末格闘技の舞台裏」(短期集中連載)がスタート。かつて定番だった大みそかの格闘技はいかにして始まったのか。

大みそかの興行が始まったのはもともとは、2000年に大阪ドームの年末恒例イベントがキャンセルになり、ドームから代替え案を相談された関西テレビの横山順一プロデューサーが格闘技が大好きだったので、全ての団体が参加して討論やエキジビションを行う格闘技祭りの企画書を作ったことでした。

その案を相談された当時「DSE」(※)の常務だった榊原さんがアントニオ猪木さんと一緒にプロレスお祭りイベントとして「INOKI BOM―BA―YE」をやったのがきっかけです。「大みそかに大阪ドームが空いているからどうですか?」という偶然からの話がスタートだったと聞いています。

だから当初は一過性の物のはずだったんです。だけどこれで猪木さんがノリノリになった。そんな中、01年には僕がPRIDEのリングに上がって猪木さんと話したりして絡みが生まれて、8月の「K―1 JAPAN」で「猪木軍 vs K―1軍」の対抗戦を行いました。年末に格闘技のイベントをするアイデアが出たのはその時です。話をしている中で猪木さんから「年末に『INOKI BOM―BA―YE』の名前を使って続きをやりたい」という話が出たんです。

もちろん僕も協力させてもらうことになり、主催は「TBS」、運営はK―1からDSEに委託する形で開催することになりました。TBSで放送することになった理由ですか? 当時は日本テレビとフジテレビでそれぞれK―1を放送して視聴率もよかったんですが、年末は恒例の番組があって動かせなかったんです。それに彼らは大みそかに格闘技で視聴率が取れると思っていなかったんでしょうね。

そこでTBSに話を持っていったら乗ってくれて、視聴率も結構いったんです。14・9%(ビデオリサーチ調べ)で民放で1位だった。これにはTBSでも「おー!」ということになったんです。日テレとフジはビックリしたと思いますよ。大みそかといえばNHKの紅白歌合戦で、民放は10%以上行けば〝御の字〟でしたから。ところが15%近くいったんで、ほかの局は「何やってんだ!!」ってなるわけです。「うちもK―1をやってただろ!」と。それがやがて2003年の興行戦争につながっていくわけですけど…。

この時の勝算ですか? ありましたよ。当時の大みそかは若い世代の見る番組がポッカリなかったので、そこを取り込めればいいかなと。そこに今をときめく存在だったK―1とPRIDEと猪木さんの新日本が合体すれば絶対に視聴率は取れると思ったんです。

※株式会社ドリームステージエンターテインメント。PRIDEなどを主催。現RIZINの榊原信行CEOが代表取締役だった。

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