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42年前…大仁田厚と初代タイガーマスクが固い握手 その後2人の「数奇な運命」

東スポWEB / 2025年1月5日 10時4分

握手をかわす初代タイガーマスク(右)と大仁田(1983年1月、東京・芝の東京プリンスホテル)

【プロレス蔵出し写真館】「力道山先生 ご生誕100年感謝興行」と銘打たれたストロングスタイルプロレス、12月5日の後楽園大会を初代タイガーマスク(佐山サトル)が体調不良で欠席した。深刻な闘病生活が続いている。

さて、今回も「プロレス大賞」受賞者が発表され、1月8日には都内のホテルで授賞式が行われる。コロナ禍以降、トロフィー等は受賞者へ直接手渡しが続いていたが、久々に授賞パーティーが開催されることになった。

今から42年前の1983年(昭和58年)1月4日、東京・芝の東京プリンスホテルで「’82年度プロレス大賞」授賞式が行われた。

この年にMVP(最優秀選手賞)を受賞したのは初代タイガーマスク。当時、NWA世界ジュニアとWWFジュニアの2冠王で爆発的人気を誇っていた。技能賞とともに史上最年少25歳でMVPを受賞した。

そのタイガーとガッチリ手を合わせたのは、全日本プロレスでNWAインターナショナル・ジュニア王座を保持していた大仁田厚だ(写真)。

年明け2日の後楽園ホールで〝過激な仕掛け人〟新間寿営業本部長がリング上から「大仁田選手の個人的な要望」と断り、「本日、タイガーマスクに対し〝挑戦したい〟と私に対し申し入れがあった」と爆弾発言。

前年、両団体のジュニア王者の統一戦が取り沙汰されたが、シ烈な企業戦争の真っただ中で〝夢の〟対決に終わっていた。

タイガーは授賞式で「賞に恥じない活躍を今年もしたい。大仁田選手が私に挑戦したいと言ってるそうだ。大歓迎だ。ジュニアに敵が一人もいなくなるまで戦い抜く覚悟はできている。とにかく、日本のプロレス界を背負って立つつもりで頑張る。猪木さん、馬場さんについでMVPをもらったんだからね」と語り、対決への機運が高まった。

ところが、この年思いがけないことが2人に起こってしまう。

4月20日、東京体育館でヘクター・ゲレロを破って王座を防衛した大仁田が、観客の声援に応えエプロンからリング下に降りた後、突如倒れて左ヒザ膝蓋(しつがい)骨折の重傷を負った。結局、翌84年12月2日、「王座奪取に失敗したら引退」と公約して、NWAインタージュニアヘビー級王者マイティ井上に挑戦。惜敗して引退を余儀なくされた(※1回目)。

一方、タイガーも8月4日、蔵前国技館で寺西勇を相手にNWA世界ジュニア王座防衛を果たした後に突如引退を表明。その後の〝プロレス界の隠語〟「ケーフェイ」を出版して業界にインパクトを与え、プロレス界と距離を置いた。

そんな2人が初めて手合わせしたのはプロレス大賞から29年後の2012年、大仁田が佐山のリアルジャパン・プロレス国際部本部を訪れ、対戦を要求した。

3月18日の後楽園大会で、タイガーはザ・グレート・サスケと、大仁田は矢口壹琅と組み、ついに初対決が実現した。

〝邪道〟となっていた大仁田はタイガーに毒霧を噴射した。タイガーは強烈な右ハイとソバットを矢口に見舞い、タイガースープレックスで沈めた。その後、タイガーは〝マスクはぎ〟でブレークした故小林邦昭さんともタッグを結成し、大仁田と抗争を展開した。

2月23日に大仁田は、「聴覚障碍者と健常者の架け橋になるようなプロレスイベント」を標ぼうする「バリアフリープロレス」に参戦するという。

ともに1957年生まれの2人。混じり合わないようで、実はクロスしていたのかもしれない(敬称略)。

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