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タフィ・ローズが〝顔退場〟したってマジ!? 球審「私を侮辱していると感じた」【平成球界裏面史】

東スポWEB / 2025年1月12日 9時43分

球審に暴言を吐いて退場となったローズ(2008年4月)

【平成球界裏面史 近鉄編86】平成18年(2006年)のタフィ・ローズは巨人を退団し、米球界復帰の道を選んだ。シンシナティ・レッズとマイナー契約。シンシナティはローズにとって故郷でもあり、最後のユニホームにするつもりだった。だが、スプリングトレーニングで27打数6安打と結果を出せずメジャー40人枠を勝ち取れないまま現役引退を決意した。

平成18年(06年)シーズンのローズは実際のところ、全くプレーしていない。それでも野球への未練は残っていた。手術を受けた右肩の状態も悪くない。そう思ったローズは古巣・近鉄バファローズの関係者と連絡を取り、合併球団のオリックスバファローズへの入団を模索した。

平成19年(07年)はテスト入団という形式でオリックスのキャンプに参加したローズは見事に合格。一度は引退をした選手とあって、パフォーマンス、モチベーションの低下など心配されたが、ローズはローズのままだった。さらに、退場グセもそのままだった。

開幕から3か月が経過したころだった。7月17日のロッテ―オリックス戦(千葉マリン)では合計3人が退場する乱闘事件の火付け役となった。3回一死、ローズが清水直行の内角高めに「危ないやろ」とまくし立てると、捕手の里崎智也は「全然、危なないやんけ」と応戦。するとローズは里崎のマスクをつかんで襲いかかり、倒れたところにキック、馬乗りで殴りかかった。

こうなるとロッテナインも黙っていない。両軍ベンチから飛び出した選手、スタッフが本塁付近で大乱闘となり、ローズとオリックスのジョン・ディーバス打撃コーチ、ロッテ・高橋慶彦走塁コーチが退場処分をくらった。これが通算11度目の退場だった。

3回に主砲のローズを失ったオリックスに対し、暴行を受けた里崎が奮起。6回に一時勝ち越しとなる7号ソロを放ち、うっぷんを晴らした。ただ、9回にロッテの守護神・小林雅英が同点打を許し、延長12回の末に引き分け。何とも後味の悪い、疲れる痛み分けとなってしまった。

翌シーズン、平成18年(08年)では4月9日のソフトバンク戦で「ファッキン・ストライク」と発言し、ローズは12回目の退場。さらに、同5月17日のロッテ戦では自ら空振り三振しておきながら、秋村謙宏球審に向かって英語で八つ当たり。すると「何かを発した時の顔が私を侮辱していると感じた」と、まさかの〝顔退場〟で13回目の退場を記録した。

そして平成19年(09年)8月27日の日本ハム戦では白井一行球審を「ヘタクソ」と罵倒し、14回目とNPB記録を更新した。ローズはこのシーズンで2度目の引退を表明したため記録はストップ。それでもダントツの14回に及ぶ退場記録は盤石かと思われていた。

しかしながら平成20年(10年)には楽天のマーティ・ブラウン監督が通算12回目の退場を記録するなど肉薄。ベースを引っこ抜いて放り投げるパフォーマンスは印象的だったが、同年限りで楽天を退団したためローズの記録は守られた。

ちなみにメジャー記録は元アトランタ・ブレーブスのボビー・コックス監督。通算132回という退場回数は桁が違い過ぎてローズがかわいく見えてしまう。

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