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「迷言」も多々あったアントニオ猪木さん 1988年リングシューズめぐり…長州力と〝禅問答〟

東スポWEB / 2025年1月13日 10時3分

長州(奥)が置いたリングシューズを見つめる猪木(1988年8月、後楽園ホール)

【プロレス蔵出し写真館】〝燃える闘魂〟アントニオ猪木は死してもなお、様々な「闘魂語録」が上梓されている。

数々の〝名言〟を残している猪木だが、中には首をかしげるモノもあった。

今から36年前の1988年(昭和63年)8月8日、新日本プロレスの横浜文化体育館で名勝負が生まれた。アントニオ猪木が王者・藤波辰巳(現・辰爾)に挑戦したIWGPヘビー級選手権だ。

猪木は7月に開催された「IWGPヘビー級王座挑戦者決定リーグ戦」で3勝1敗の成績で挑戦権を獲得した。1敗は7月22日、札幌大会で長州力に敗れたもの。後頭部にリキラリアートを食らい、7分55秒、体固めで押さえ込まれた。

前日の小樽大会では藤原喜明&ジョージ高野と組み、長州&マサ斎藤&スーパー・ストロング・マシン組と対戦し、長州のラリアートで猪木がピンフォールを奪われていた。

2日続けて長州にフォールを奪われるという驚きの結末。藤波より先に長州が〝猪木超え〟を果たしていた。

長州に続いて藤波にも敗れてしまうのか? 〝負ければ引退〟という雰囲気の中で行われた横浜のIWGP戦は、2人が持てる技をすべて出し尽くし、60分フルタイムの時間切れドローに終わった。

試合後は長州に肩車された猪木と、越中詩郎に肩車された藤波がガッチリ手を握り猪木が涙を流すという、感動のフィナーレを迎えたのだった。

翌9日、猪木は会見で社長辞任とフリーな立場になることを申し入れたと明かし、豪州へと飛び立った。フィリピンを回って15日に帰国すると〝辻井博会長に却下された〟と、社長辞任は撤回した。

猪木は同月26日、後楽園ホールで開幕戦を迎えた「戦国シリーズ」を欠場。これは前日に決定していたことだが、猪木の胸中、舞台裏は混迷していた。

午後6時53分に控室で猪木を囲んで藤波、長州、坂口征二副社長、マサ斎藤、倍賞鉄夫営業部長が約20分の話し合いを持った。会議が終わって出て来た藤波は「猪木さんは、いったい何を考えているんだ」。不満の色を隠さない。

一方、猪木は明るい表情で「いつでもOK、明日からでも行けるゾ」(※欠場した)。

8時4分に私服の猪木がリングに上がった。マイクを持つと「もうひとつ大きな勝負をかけたい。近いうちに戻ってきます」と観客に公約。

すると、そこに長州が黒のリングシューズを持って現れた。それを猪木の足元にドスンと置くと、無言のままリングを降り、控室へ戻って行った(写真)。

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