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米野球殿堂入りイチロー氏 オリックス時代の番記者が明かす「陰の努力」と「MLB想定実験」

東スポWEB / 2025年1月23日 5時7分

オリックス時代から進化し続けたイチロー

MLB通算3089安打をはじめ、数々の金字塔を打ち立てたイチロー氏(51=マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)が、21日(日本時間22日)に米野球殿堂入りした。マリナーズでは背番号51が「永久欠番」となることも決定したが、一足飛びにスターダムをのし上がったわけではない。オリックス時代のイチロー氏に密着した番記者が、知られざる陰の努力、初々しい一面をお届けする。

1994年に彗星のごとく登場したオリックスのイチロー氏は、2000年まで7年連続で首位打者を獲得した。その間は常に変化しながら〝進化〟を遂げていた。

近鉄・野茂英雄、ロッテ・伊良部秀輝、西武・松坂大輔をはじめ、各球団がデータを駆使して襲いかかってくる。「イチローなら打って当然」という重圧の中、それらを技術で上回るには前年と同じことをやっていてはいけない。「打撃は生き物」とするイチロー氏は、毎年のようにアップグレードに取り組んでいた。

元同僚の大島公一氏は「いろんなことを想定し、いつも新しいことに挑戦する発想と行動力があった。こうなった場合にどうなるか、を実際にやってみる。淡々とやっているように見えて思考、修正を繰り返していたんです」と振り返っている。

キャンプからフォーム改造を試し、シーズン中も微調整を続ける。オープンスタンスの右足の位置を変えたり、尊敬するケン・グリフィーJr.(元マリナーズ)ばりの背筋を反らすフォーム、振り子をやめてすり足にしたこともあった。

「あくなき探求心を持っていた。悩むんじゃなくて模索するのが楽しかったんじゃないですかね。振り子打法なんて考えられない打ち方だったし、96年ごろは投手に対して正面を向き、オープンスタンスから足を上げていた。練習でもどれがいいのか、どれがマッチするのかを探していた」(大島氏)

00年シーズンを最後にメジャーに移籍したが、MLBのハードな日程を見据え、ある〝実験〟も行っていた。選手にとって体力的にきつい「ナイター明けのデーゲーム」にあえて一睡もせずに臨む。周囲は「十分な睡眠がとれない時、全く寝ずに試合に出るとどうなるのか、試していたのかもしれない。メジャーの日程はもっと大変なので想定していたんだろう」と見守っていた。

結果を出した翌年も現状維持では後退と同じ。打撃コーチすら介入できないような境地に達し、試行錯誤を続け、感覚をつかむまでバットを振り続ける。イチロー氏は同僚だった野田浩司氏に「首位打者を取ることは自分の中で怖いことでもあります。相手はそれ以上に警戒してくるし、今年と違うことをやってくる。自分も変えていかないといけないんです」とこぼしたこともあったという。

国民的スター選手でありながら修行僧のようにストイックに打撃を突き詰めた。MLBでは19年間で3089安打を積み上げたが、変化と進化の繰り返しだったはずだ。

本人がMLB挑戦を夢見ていた頃、記者はMLB取材で渡米し、グリフィーJr.にイチロー氏の存在を伝え、メッセージのメモをもらってきた。「ALL THE BEST(全てにベストを)」。帰国してイチロー氏に手渡すと途端にクールな表情が崩れ「やった!」と大喜びしていた。あれから約30年、そのグリフィーJr.が待つ野球殿堂にたどり着いた。

=一部敬称略=

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