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【吉田秀彦連載#31】43歳で柔道復帰戦 4回一本勝ちしたけど4年後の大会では…

東スポWEB / 2025年1月30日 16時8分

決死の表情で大外刈りを仕掛けた(13年6月)

【波瀾万丈 吉田秀彦物語(31)】指導者として柔道界に復帰した自分は、プロ格闘技引退から3年がたち、選手としても柔道に復帰します。2013年6月、岡山で行われた「全日本実業柔道団体対抗大会」に出場しました。

なぜか? 柔道部ができてまだ3年、単純に団体戦に出るメンバーが足りなかったからです。仕方なく「自分が出るか」となりました。この時は43歳。11年ぶりの試合はどうだったかというと…6戦して5勝1分け。内股も決まって、4回一本勝ちしましたよ。

正直に言って「死ぬか…」と思いました。全然動けなくて、必死でしたね。柔道を引退してから、こんなに体力が落ちているとは思いませんでした。練習は試合のちょっと前からパーク24道場で部員を相手にこなしていました。もちろん、昔みたいに練習で自分を追い込めない。かる~くやっていただけでしたからね(笑い)。自分の持っている感覚だけで、畳に上がっていました。

さらに47歳になった17年にも同じ大会に出ています。この時もメンバーが足りず、駆り出されたんですが、初戦(4回戦)でいきなり負けました。息が上がり過ぎて、どうしようもなかった。この時も「死ぬか…」と思いましたね(笑い)。

準決勝は引き分け。決勝の相手は19歳の子でした。インターハイ(高校総体)では3位に入った選手で、彼のお父さんは自分より年下でした…。試合中には偶然に相手の足を踏んでしまい、そこから大外刈りを決めて一本勝ちしました。もう一度言いますが、足を踏んだのは偶然ですよ(笑い)。チームは優勝を果たしましたが、決勝の試合が終わってから、19歳の子が「写真を撮ってください」と来たのには驚きました(笑い)。

「どこまでできるか」と思って挑戦したものの、やはり練習していなかったからできなかった。ただ、当時はチームができていく過程で、選手はみんな必死に練習していましたから。自分も出場したことで「みんなでやっている」という感覚にもなりましたね。

何より「柔道を盛り上げなきゃ」という気持ちがありました。柔道人気を少しでも上げたかったんです。実際、13年の大会では格闘技を引退してから日がたっていなかったので、マスコミの方がたくさん取材に訪れてくれました。

2度の復帰戦で思ったことは「柔道ってこんなにきついものなんだ」でした。ただ、柔道も格闘技もやめて全く練習をしていないのに、出場できたのは「昔の貯金」だと思っています。当時は「まだ、練習をやっているんですか」とよく聞かれましたが、全然やっていません。それでも試合ができたのは、若いころの練習で積み上げた貯金が残っていたからですね。

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