1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. 野球

ローズ、高橋由伸、小久保、ペタジーニ…史上最強打線は〝各駅停車〟だった【平成球界裏面史】

東スポWEB / 2025年2月2日 9時3分

左から高橋由伸、小久保裕紀、ローズ、ペタジーニ

【平成球界裏面史 近鉄編89】近鉄・タフィ・ローズが平成15年(2003年)オフの残留交渉で希望したことは複数年契約だった。しかし、近鉄サイドは最後まで首をタテには振らず決裂。ローズは巨人へ移籍する結果となった。

今振り返れば、近鉄球団は翌年の平成16年(04年)にオリックスと合併し消滅するわけで、高額年俸のローズと複数年契約などとんでもないことだった。

とはいえ、ローズにとって移籍先となる巨人も当時は穏やかな時代ではなかった。平成14年(02年)には初就任の原辰徳監督が1年目にしてリーグ優勝、日本一を達成。いざ、連覇かと思われたが絶対的な4番・松井秀喜のヤンキース移籍の影響は想像以上に大きかった。

オフにヤクルト・ペタジーニ、近鉄・中村紀洋ら大物の獲得に乗り出し結果的にペタジーニが加入。原監督はヤクルト時代に「ペタ」の愛称で親しまれていた大砲を「ジーニ」と命名するなど、ライバル球団の主砲を引き抜いた雰囲気を和らげようと気を使いまくっていた。

だが結果、平成15年(03年)の巨人は阪神に10勝17敗1分と大きく負け越すなど、ヤクルトと3位タイに入るのがやっと。シーズン終了後には原監督が電撃辞任となり〝読売グループ内の人事異動〟で堀内恒夫監督にバトンタッチという混乱ぶりを見せていた。

前年の日本一監督がわずか2シーズンで辞任。フロントと現場の足並みが揃わない状況の中、各球団の本塁打王経験者や元4番打者がずらりと並ぶ超重量アンバランス打線が完成した。

平成16年(04年)、巨人のチーム本塁打はNPBシーズン新記録の259本。長嶋茂雄終身名誉監督が「史上最強打線」と命名すれば、虎党が「そのままやんけ」と突っ込んだ伝説の重量打線だ。3番からローズ、高橋由伸、小久保裕紀(ダイエーから無償トレードで移籍)、ペタジーニ、阿部慎之助、二岡智宏と並ぶ打線は相手投手からすれば脅威だった。

さらに江藤智、清原和博がベンチに残っているという異次元の層の厚さはハンパ無かった。だが、野球はテレビゲームではない。機動力も発揮できず各駅停車の攻撃はつながりを欠いた。投手陣はチーム防御率4.50と振るわず、リーグ優勝を落合中日に明け渡した。

そんな混沌とした中でローズは移籍1年目から45本塁打でNPB史上初となるリーグをまたいでの2年連続、4度目の本塁打王を獲得。落合博満に次ぐ史上2人目、外国人選手では史上初となる両リーグでの本塁打王ともなった。

また、外国人による4度目の本塁打王も史上初だった。ローズは同年途中にFA権を取得した。翌年の平成17年(05年)からは外国人枠の適用外となった。これも外国人野手では初のことだった。

日本人と同じ扱いになるならと、タフィ・ローズという名前に合う漢字がないかという質問を、近鉄時代から懇意にしている通訳に投げかけたこともある。この頃はもう日本が大好きで、近鉄も巨人も大好きなローズだった。

巨人で野球人生を全うし、日本で引退するつもりだった。このシーズンで愛する近鉄バファローズが消滅してしまい、愛着のある故郷もなくなったことも寂しかった。それなのに、物事というものはうまくいかない。翌年のローズには苦悩の日々を送る未来が待っていた。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください