【阪神】「悪い!」采配ミスを選手に直接謝罪した吉田義男監督 1986年入団・柏原純一氏が追悼
東スポWEB / 2025年2月5日 6時3分
阪神監督として、球団初の日本一に導いた吉田義男氏が3日に脳梗塞のため死去した。吉田監督のもとで選手として戦った野球評論家・柏原純一氏が、偉大な故人を思い出とともにしのんだ。
【柏原純一「烈眼」】突然の訃報に、ただ驚いている。阪神で3度、監督を務められた中で、私がプレーしたのは第2次政権時。前年の1985年に球団史上初の日本一を達成した直後のシーズンだった。
当時、日本ハムに在籍していた私は84年までの5年連続全試合出場が途切れ、85年に就任した高田繁監督の構想から外れたところで「それならば」と声をかけてくださったのが、吉田さんだった。
現役時は「牛若丸」の愛称で華麗な守備で鳴らした人だったが、その当時の阪神は「バース、掛布、岡田」のクリーンアップに代表される通り、打って勝つ打撃のチーム。一方で投手力は弱かった。当時の監督のもと、部下として働いた印象は采配も常に強気でイケイケな「攻めダルマ」タイプだった。しかし、それは投手力が弱いがゆえに「1、2点のリードでは守り勝てない」ということを察知、思慮された上での判断のようにも感じていた。
やはり繊細で、どちらかといえば堅実な人。移籍した86年、私が先発起用されたある試合で、改めてそう確信した打席があった。
走者一塁で入った打席で「ヒットエンドラン」のサインが出た。だが、相手投手の球はストライクゾーンから大きく外れたいわゆるクソボール。サインを忠実に遂行しようとした私が何とかバットに当てて打球を前に転がし、進塁打としてベンチに戻ると、吉田監督が「悪い! 柏原! クソボール球やった」と手を合わせながら謝られたことがあった。「次はストライクがくる」。そう判断し、打席の私に送ったサインだったからこそ、監督自身も発した言葉だったと思う。
当時は今では想像もできないほど「監督」が絶対とされた時代で、仮に〝采配ミス〟と思われるような事象でも、世間に伝わるまでには「できなかった選手の責任」と言われた時代。私もすでに現役晩年を迎えていたが、〝上司〟である監督から謝られた経験は、後にも先にもこれ限りだ。
その後は90年代にフランスに渡り、同国代表監督を務めるなど、欧州野球の発展にも貢献したことから以後は「ムッシュ」の愛称で親しまれた。現役時の攻守における華麗な姿、第2次政権までの強気な采配スタイルから「牛若丸」の呼称が常について回ったが、第2次政権で呼んでもらい、使ってもらった私は後者の印象の方が強い。誰に対しても紳士で、謙虚な野球人。球界はまたひとり、不世出の人材を失ったと思う。合掌。
(野球評論家)
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