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ストロング小林を名レスラーに押し上げたバーン・ガニア戦 70年2月 日本初のAWA世界戦

東スポWEB / 2025年2月9日 10時8分

持ち前の怪力でガニアに逆片エビ固めを狙う小林

【昭和~平成スター列伝】前々回にはジャイアント馬場が「3000試合連続出場記念試合」(1981年1月18日、後楽園)でAWA世界ヘビー級王者バーン・ガニアと初対決した一戦を報じた。“AWAの帝王”と呼ばれたガニアの初来日は意外ながら国際プロレスの70年2月のAWA世界戦シリーズ。「まだ見ぬ強豪」としてファンの期待は盛り上がっていたが、AWA世界王座に挑戦したのが、29歳のエース・ストロング小林だった。当時は日本プロレスが絶対的な権威を誇っており、国際にとっては勝負をかけた大一番だった。70年2月5日大阪で日本初のAWA世界戦が開催されている。

「1本目20分、小林がベアハッグの波状攻撃でチャンスをつかむが、ガニアは伝家の宝刀・スリーパーホールドを決め、90秒間絞め続けて小林をギブアップさせた。2本目は小林がボディースラム、肩車の力技から新技ブレーンバスター一閃。大敵ガニアを仕留めタイにした。3本目は小林がヘッドロックから首投げを連発してスタミナ合戦となるも、ガニアはヘッドロックを逆手にとって必殺のバックドロップ。だが自らも後頭部を強打し、両者ともにリング内で大の字となり、カウント10の結果、1対1のドロー。ガニアの引き分け防衛(通算76回目)となった。両者はきょう6日、東京に舞台を移して、再度激突する」(抜粋)

敗れるも小林が大健闘を見せた名勝負だった。翌日の東京体育館での再戦は、惜しくも2―1で敗れたものの、こちらも大物ガニアを相手に十二分に渡り合った。東京スポーツOBで国際プロレス担当だったプロレス評論家の門馬忠雄氏は「当時の国際は冷遇されていたから、団体が勝負に出た試合だった。ガニアは“未知の強豪”だったからファンの関心も高かった。キャリアは段違いだったけど小林はよくついていったよ。ガニアのスリーパーは相手を吸い込むように巻き込む。加えて動きにムダがない。力とテクニックの勝負だったが、やはり格が違った。小林はガニアの手の内に吸い込まれていた。しかし大健闘であり、素晴らしい勝負だった。小林はその後、海外でも活躍するけど、この試合が大きな教訓になったんじゃないかな」と指摘する。

さらには「彼は(60年代後半の)欧州遠征で様々な国に行った。アフリカ、レバノン、トリニダード・トバゴ、サウジアラビア…そんな場所は誰も行かないよね。そこでいろんな苦労や経験を積んだ。だから当時欧州では馬場、猪木より有名だったんだよ」とも語った。

小林はその後、71年6月にIWA世界ヘビー級王者となり、25回連続防衛を果たして名実ともに国際のエースとなる。若き日に経験したガニアとの「歴史的一戦」が小林を名レスラーへと押し上げたことは間違いない。 (敬称略)

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