1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. 経済

「中学受験は意味がない」と思っても子供に受験をさせる親の心理

LIMO / 2019年3月17日 11時0分

「中学受験は意味がない」と思っても子供に受験をさせる親の心理

「中学受験は意味がない」と思っても子供に受験をさせる親の心理

医学部か東大が基本、慶應文系は残念賞という考えとは

3月でそろそろ卒業式を迎えるという親御さんも多いのではないでしょうか。首都圏を中心に2月に行われた中学受験。子供は当然ながら親も精神的にも肉体的にも疲弊してしまう行事です。今回はその中学受験について考えてみましょう。

クラスのほとんどが中学受験?!

我が家でも今年は子供が小学6年生で、ちょうど中学受験のタイミングでありました。受験結果はいろいろでしたが、一応本人が希望する中学から合格をもらい、家族では一件落着という感じです。

子供の通う学校では、クラスのほとんどの子が中学受験をするという、自分が小学生であった当時のことを考えればあり得ない状況です。しかし、これが現実というのをひしひしと感じます。

子供の友人の結果は様々で、大手進学塾のクラス分け通りの結果とならないのが中学受験の興味深い点というか、怖いところで、「えー、なんであの子が落ちちゃったの?」と同時に「へー、あの子があの学校に受かったの」という両方が起きてしまいます。

そんな中学受験ですが、果たしてそこまで大事なイベントなのでしょうか。

医学部か東大が基本。慶應文系は残念賞?

私自身、進学校と呼ばれる中高一貫校の中学受験をし、進学しました。同級生の半分近くが医学部、また東京大学にも数十人を輩出する学校です。

私はというと、慶應義塾大学の文系学部に進学をしました。誤解を恐れずにいえば、私の通った学校でいえば「国立大医学部か東大が基本」という中で慶応義塾といえども「私立の文系学部は残念賞」という位置づけです。

個人的には慶應義塾大学は良い大学であったと思います。指導教授にも恵まれ、就職活動においてもOBOGのサポートもあり、ストレスは少なかったように思います。また、社会人となると会社の中には先輩も多く、非常にいい大学だったなと思います。

ただ、一度私が進学したような学校に入れば、先の様な評価となることがあります。そしてそのような先入観を引きずってしまいかねません。それ自体が残念といえます。

出身中学はどこまで大事?

では、社会人となって振り返ってみると、そこまで中学受験が大事であったかという話です。

職場で、最近ではあまり出なくはなっていますが、出身大学が話題になることはあります。ただ、中学や高校が話題になることはほとんどないというのが実際ではないでしょうか。

極端に言ってしまえば、「大学受験さえ辻褄を合わせてしまえば、何も中学受験をしなくてもよくないのか」というのが私の結論です。

地方の公立高校出身でも、東大に進学し、その後、外交官になっていたり、有名大学の教授になっている友人もいます。コストパフォーマンスを考えれば、私立中学ではなく、公立高校から自分の希望する大学に進学するのがもっとも満足度が高くなるのではないでしょうか。

就職活動での勝ち組の条件

もっとも、どれだけ有名な大学に進学し、成績が優秀でも苦労するのが就職活動です。

企業は、自分たちのビジネスを通じて、利益を生み出せる人材が欲しいわけです。そこで重要なのは、コミュニケーション能力と何かをやり切る力だと言えます。

私も新卒で入社した金融機関では、新人研修が終わった直後から採用活動に駆り出されました。いわゆるリクルーターのお手伝いです。そこでの採用活動の舞台裏は、自分の出身大学者で就職を希望する学生の面談の調整やスクリーニングです。

就職活動は一見すると大学ごとの競争のように見えますが、採用する側も「どの大学からどのくらいの人数」と決めていることがあります。そのようなケースでは、同じ大学の就職希望者との競争になります。

そこでは、ちゃんと挨拶ができるかに始まり、自分のしてきたことやしたいことがはっきりといえるか、その人物が入社した時のイメージができているか、配属されたときにチームにうまく溶け込めるか、また最終的には人事担当役員や人事部長に会わせても問題がないか、などが論点になります。

外資系金融機関での衝撃

私は外資系金融機関でも勤務してきましたが、そこで感じたのは日本の大学を出ただけ、というのだけでは無力だなという点です。

私がいた職場では、東大にはじまりハーバードやスタンフォード、オックスフォードやケンブリッジといった大学を卒業した国際色豊かなチームでした。私が入社した当時は留学経験もないのは私くらいでした。チームメンバーの外国人といえども流暢な日本語を操り、学力だけではなく言語力もある人ばかりです。

そのようなメンバー構成でしたが、仕事ができない、またパフォーマンスがうまく出せないという人は大体3年を目途に、言葉を選びながら言えば、会社を去っていきます。それを見ていた感想としては「どれだけいい大学を出ていても、現実は厳しいなぁ」というのが本音です。

では、厳しい競争の中で生き残っていた人はどんな人材なのでしょうか。

言い訳上手はコミュニケーション能力が高いのか

「パフォーマンスがそれほどでもないのになぜこの人は生き残っているのだろうか」と思う人がいます。

そうした人物に見られる特徴として、一見するとコミュニケーション能力が高い人が多く見られます。

そうした人物は、自分がなぜ今よくないのかを上司とコミュニケーションをうまくできる人が多いということを思っている人も多いのではないでしょうか。

では、コミュニケーションが上手な人とはどのような人でしょうか。

日本人的に見れば、「言い訳が上手な人」ともいえますが、良い言い方をすれば「説明が上手な人」ともいえます。

もっとも、「言い訳が上手な人」というのは上司との距離感を上手にはかれる人が多いので、単純に「言い訳上手」と整理してしまうのも乱暴かもしれません。

ポジショニングが上手な人

また、チームの中で、個人としてのパフォーマンスは突出していなけれどもムードメーカーとして存在感があるという人もいます。そうした人物がいるだけでチームが明るくなるのです。

こうした人たちは話をしてみると、小さい頃から個人で成立する運動や活動ではない、集団として成立する部活動などをしていることが見受けられます。集団の中でどう自分を位置づけるのかという「ポジショニング」が上手な人がいます。

このようにコミュニケーションやポジショニングといった要素は、受験ではほとんどが問われない要素であるのにもかかわらず、社会人になると非常に重要な点となってきます。

中学受験熱が冷めない背景とは

こうなると、仮に中学受験で進学実績の良い学校に合格し、有名な大学に進学し、就職活動がうまくいく、そして給与が高い一部上場企業に入社してもその後の社会人人生が輝かしいものになるかは、本人の対人交渉力や理解力といった点が重要視されることになります。

社会人としてしばらく時間が経つと、「学歴とかあまり意味ないよね。あったには越したことはないけど」と思う人が多いのではないでしょうか。それは、先に見たように個人のパーソナリティへの評価割合が高いからだと思います。

そう思っている人が多いはずなのに、なぜこのように中学受験熱が一向に冷めないのでしょうか。

これは人によって理由はそれぞれだとは思いますが、これまで見てきたように、希望する中学が子供の様々な能力を引き出してくれるのではないかという期待があるというような前向きな理由から、「最低限このレベルの中学に入学しておけば、あとは本人次第」といった親の「精神安定上の保険」といった意味合いまで様々なものがあるでしょう。

時代が求める人材のニーズの変化

とはいえ、時代がもとめる人材のニーズは、AI化や自動化、ロボット化が進む中で、これまでのように情報処理のスピードが高い人材が求まられるシーンから、マネジメント能力がある人材、新しい物事を切り開ける人材、全体の仕組み(システム)を構築できる人材へと進んでいくことでしょう。

こうした社会のニーズを考えると、中学受験で問われる内容やそこでの結果は、問われている内容が必ずしも一致している状況ではないといえるでしょう。

話はそれますが、東京大学の31年度の前期試験で、東大文Ⅰの合格最低点が文Ⅱのそれを下回ったということがありました。

これは、法学部を卒業することで得られる就業機会や進路先と経済学部を卒業して得られる内容を比較した際に、優秀な学生が文Ⅱを選んだということが反映されているかもしれません。これまでは文Ⅰの方が文Ⅱよりも難しいとされてきましたが、今年はそうした状況と比べると、変化したと言えます。

このように価値観は時代とともに変化するものでしょう。だとすれば、いまの中学受験も時間が振り返ってみれば、「あれは一体何だったのか」というような時代が来るかもしれません。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください