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なぜ「お母さんに見えない」を不愉快に感じるのか

LIMO / 2019年5月19日 10時45分

なぜ「お母さんに見えない」を不愉快に感じるのか

なぜ「お母さんに見えない」を不愉快に感じるのか

「お母さん」を否定しないで!

子どもを保育園に預けて働いているお母さんの中には、こんなことを言われたことがある人はいないでしょうか。「子どもがいるなんて驚きました」「お母さんに見えないですね」。

今年の2月にファッション誌「Domani」が「“ママに見えない”が最高のほめ言葉」といった広告コピーを打ち出し、議論を呼んだことも記憶に新しいところでしょう。今回は、この「お母さんに見えない」について考えます。

自分の苦労や思いを否定された気持ちになってしまった

昨年出産し、生後9か月の息子がいる筆者は先日、この「お母さんに見えない」に遭遇。子どもを保育園に預けて仕事をしていた日、久しぶりに会った知り合いに近況を尋ねられて答えた際に返ってきた言葉でした。「お母さんに見えない」と他人に言われたのは初めての経験でしたが、何とも言えない後味の悪さを覚えてしまいました。

辛く大変な思いをして妊娠期間を過ごし、無事に出産し、毎日が戦いのような子育てを経験し、保育園になんとか預けてからは仕事と家事育児の両立に奮闘する毎日。そんな母親業の苦労や頑張りが、「お母さんに見えない」ですべて否定されたような気がしたからです。

筆者は年相応の20代後半で、場合によっては30代前半に見られることもあります。その人の「お母さんに見えない」の意味するところが「若い」ではないことは明白。

「お母さんに見えないなら、どんな風に見えているんだろう」というモヤモヤが残りました。しっかりしていない? 頼りない? 苦労していなさそう? そもそも見た目について何か言われている時点で不快に感じてしまった一件でした。

自分の「母」イメージを押し付けないで

他人に「お母さんに見えるか否か」について言われることの気持ち悪さは、もう一つあります。それは、自分の考えるお母さん像を押し付けられている気がするからです。

つまり、「お母さんに見えない」も嫌ですが、「お母さんっぽい」「母の顔になってきたね」も嫌だということ。「お母さん」「母」「ママ」のイメージは人それぞれ持っていてしかるべきですが、そのイメージとかけ離れているのかどうかについて、いちいち言う必要は全くありません。

筆者に「お母さんに見えない」と言った方はきっと、社交辞令の一つとして褒める意味で言ったのだとは思います。しかし、「お母さんに見えない」が褒め言葉として公然と使われる世の中は、お母さんをなんだと思っているのでしょう。お母さんに見える女性はダメなんでしょうか?

言われた時はなんとなく「ありがとうございます」と受け答えてしまった「お母さんには見えない」でしたが、後からいろいろと考えて、一人のお母さんとして強い憤りを覚えてしまいました。

他人の見た目をあれこれ言うことに慣れすぎ?

自分の持つイメージや既成の価値観について、無意識で他人に言ってしまうことはしばしばあります。「男の子っぽくないね」「既婚者に見えない」といった見た目に関することだけではなく、結婚や子どもの有無、個人のセクシャリティなどプライベートに関すること。

私たちはこれまで、他人の見た目やプライベートに対してあれこれ言うことにあまりにも疑問を持たない社会の中にいたのかもしれません。しかし、これらは悪気がなかったり褒め言葉として言ったりといった免罪符があれば問題ないわけではないでしょう。そろそろ、そういったことから脱却する社会であってほしいと思います。

一方で、こういった発言は言われた当事者でなければわからないことも多々あります。今回、筆者は初めて「お母さんに見えない」という言葉は全く嬉しくない人もいることを身をもって理解しました。少しずつ、当事者の声が広がっていき、傷つく人や嫌な思いをする人が少なくなればいいなと思います。

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