1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

給食の完食指導に賛否両論!「会食恐怖症」を実体験から考える

LIMO / 2019年7月1日 12時10分

給食の完食指導に賛否両論!「会食恐怖症」を実体験から考える

給食の完食指導に賛否両論!「会食恐怖症」を実体験から考える

皆さんは、会食恐怖症という言葉を聞いたことがありますか?会食恐怖症とは、人前での食事に強い恐怖と不安を感じ、食が進まず吐き気などの体調不良を引き起こす精神疾患です。

実際に会食恐怖症と10年以上付き合っている筆者がどのような毎日を送っていたのか、また、会食恐怖症を和らげるために考えていたことを伝えていきます。

人と一緒だと食事が進まない会食恐怖症に悩んだ毎日

「たくさん食べなさい」と言われるプレッシャー

2018年、静岡県で当時小学6年生の児童が担任教師に牛乳を飲むことを強要されPTSD(心的外傷後ストレス障害)になったとして、慰謝料を求める訴えを起こしたことが話題となりました。『給食ハラスメント』として、過度な完食指導が問題として取り上げられる機会が増えてきました。これに伴い、「会食恐怖症」という病名も少しずつ認知されてきています。

筆者は幼いころから食が細く、あまり量を食べられない子どもでした。ご飯は子ども用のお茶碗半分食べれば充分。お味噌汁も器の3分の2も入っていれば多くて残してしまうという調子でした。

子どもはたくさん食べた方が良いと両親や祖父母も心配し、食事の席になると「沢山食べなさい」と食事を勧めてきました。しかし、小食で神経質な私にとってはそれはプレッシャーでしかありませんでした。

さらに学校でも、給食を残すと「もう食べないの?」「こんなに残して…体調でも悪いの?」とクラスメートや先生からの言葉が…私にとって少ししか食べられないということはコンプレックスになり、さらに周りからの気遣いの言葉すら「監視されている」というプレッシャーになっていったのです。

1人で食べる時は大丈夫なのに会食で食べられる量は普段の3分の1程度

会食恐怖症といっても、人前だと全く食べられなかったり、いつもより食が進まない程度など様々な症状があるようです。筆者の場合は「1人なら外食しても普通に食べられるが、誰かと一緒だと1食分のうち3分の1程度しか食べられない」といった症状でした。食事をしていても、喉が詰まったようになり、上手く飲み込めないのです。

高校生にもなり、そのころには家族は「あんたは小食だからね」と私が量を食べられないことを認めてはくれていましたが、自分では「1人なら食べられるのに、これはおかしい」と自分の身体に起こっている異常を感じていました。

食事を全く楽しめない、当たり前のことができない苦しみ

親しい人と一緒に食事をする予定が入った時、皆さんならどんな気持ちになるでしょうか。

「どんなものを食べよう」「久しぶりに一緒に食事ができるなんて楽しみだなあ」そんな風に予定の日がやってくるまでわくわくして、待ち遠しいのではないでしょうか。

しかし、筆者にとって人との食事の予定は憂鬱でしかなく、近づくにつれ不安でいっぱいになる出来事でした。友人と会うのは楽しみなのに食事だけが憂鬱で、その不安で頭がいっぱいになってしまうのです。

楽しく食べたいのに食べられない。普通の人が普通に楽しめることができないという悔しさ。そんな気持ちでいっぱいの毎日を、20代半ばまでずっと続けていました。

楽しく食べたい!会食恐怖症を和らげるために行ったこと

まずはこれが病気だと知るところから

自分の身体が異常だと感じていても、筆者はなかなか病院に行きませんでした。

ひとつは、自分が本当に病気であるのか分からなかったから。前述したとおり、筆者は元々小食で、一度にたくさん物を食べられない体質でした。そのため、今回の症状ももしかしたら自分の杞憂で、病院にかかるようなものではないかもしれないと思っていたからです。

もうひとつは、どんな分野の医者にかかればいいのか分からなかったこと。

成長して自分の症状についてインターネットで調べるまで、これが会食恐怖症という病気だということを知らず、精神科や心療内科で診てもらえるということを知らなかったのです。

「どうして食べることが怖いのか?」恐怖という感情について考えた

自分が会食恐怖症という病気だと知り、心療内科でのカウンセリングや投薬治療の傍ら、筆者は自分でも治す努力をしてみようと考えるようになりました。そして、そもそも「怖い」という感情がなぜ生まれるのかについて、独自に考えてみることにしたのです。

恐怖は「~が起こるかもしれない」という不確定なことや、知らないものに対する不安から生まれます。それなら、逆に挑戦してみて「これは怖いことではない」と心に教え込ませればいいのではないかと考えたのです。

今考えると我ながら荒療治だなあと思いますが、この考え方により会食恐怖症の症状が和らいだのも事実です。

無理に完治を目指さず、病気とうまく付き合っていく

会食恐怖症の症状に悩んでいる時は「どうして普通に食事ができないの」「普通のことができないなんて私はおかしい」と考えて落ち込みがちでした。その奥には、「治さなくてはいけない」というプレッシャーがあったのだと思います。しかし、悩む中で少し視点を変えてみよう、と思いました。

「人前でも全く食べられない訳ではない」「会食で少ししか食べられなくても、席で友人と話している時間は楽しい」というプラスの面に目を向け、「完治しなくても今より楽しく食べられるようになればそれでいい」という考え方に変えていったのです。

今でも筆者は誰かと一緒に食べるよりもひとりで食べた方が、食事の量としては多く食べられます。しかし会食に対しての苦手意識は薄くなり、友人たちと楽しく食事をし、さらには自分から知人を食事に誘えるようにまでなったのです。

まとめにかえて

会食恐怖症はあまり知名度が高くない上に、会食が楽しいものだと認識している人たちには理解されにくい病気だと思っています。

しかし、人間は食べなければ生きていきません。そして必須のことならば、その時間は楽しいものの方が良いはずです。

焦らなくてもいいし、無理もしなくていい。会食恐怖症に悩む人たちの苦しみがほんの少しでも和らいで、快方に向かえばよいと願っています。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください