1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

京都アニメーションが世界中から愛される理由。京アニ品質の源泉はどこにある?

LIMO / 2019年8月18日 19時45分

写真

京都アニメーションが世界中から愛される理由。京アニ品質の源泉はどこにある?

京都アニメーションを襲った凄惨な放火事件から1カ月。そのショックや悲しみの波紋はまだ続いています。中でも、事件直後から国内のみならず、海外からもお見舞いや支援の声が数多く届いているのはご存知の通りです。

このように、京都アニメーションというアニメ制作会社があまりに多くの支持と高い評価を集めていることに驚いている人も多いことでしょう。「アニメは小学校と同時に卒業しました」という向きには、世界各国から集まる支持と高評価の理由が今一つピンとこないという人もおられるかもしれません。

そこで、小学校は卒業したけれどアニメは卒業していないおじさんが、ちょっと知ったかぶったお話をしてみようと思います。「京アニがすごいって言われるのはどうして?」というお話です。

「手抜きなし」の高品質追求を貫く

京都アニメーションという会社は、その名の通り京都にあります。本社は宇治市。手塚治虫が創設したアニメ制作会社・虫プロダクションで「仕上げ」という工程に携わっていた女性が退職後に京都に移り住み、1981年に近所の主婦らとともに大手アニメ制作会社の仕上げを請け負ったのが京都アニメーションのはじまりだったそうです。

京都アニメーションの仕事は丁寧で質がいいことが業界ではつとに有名で、テレビアニメの重要な回はぜひ京アニに、と制作スケジュールを調整する会社もあったのだとか。その頃から現在まで、一切の手抜きなしの姿勢を京都アニメーションは貫いています。

その質の高さは視聴者の目を奪います。誰が見ても「巧い」「きれい」ということがわかる画面がつくられます。アニメについて、あるいは絵画について、イラストについて、知識がないという人でも、京都アニメーションの作品と他のアニメ作品を見比べてみれば、きっと違いがわかるでしょう。

もちろん、ただ「巧い」、ただ「きれい」というだけではありません。よく見るとそれら要素はすごさの「基礎」の部分であって、実際のすごさはその上に積み重ねられた時間と手間と技術の結果なのです。

京都アニメーションの代表作として挙げられるのは『涼宮ハルヒの憂鬱』、『けいおん!』、『響け!ユーフォニアム』など。いずれの作品もみずみずしい少女たちの感情の起伏を豊かな色彩で描き出しています。また、本年2019年9月には劇場用作品『ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝-永遠と自動手記人形-』が公開される予定です。

アニメ業界の常識を変えた経営方針

京都アニメーションが現れるまでのアニメ業界は、アニメーターが儲からない仕組みになっていました。アニメーターとはアニメーションに使用する絵を描く人のことですが、この人たちはずっと「1枚いくら」の仕事をしていました。どれほど質が高い仕事をしても、枚数をこなせなければお金にならないのです。

しかし、いくらがんばっても人が1日に描ける枚数は限られています。そのため、アニメーターというのはいつも貧乏でした。それを改革したのが京都アニメーションです。京都アニメーションはアニメーターを社員として雇い、月給を支払う制度を確立しました。

実に当たり前のことのようですが、アニメ業界ではそうではなかったのです。一定の給料を支払い、安定した生活を保証することで安定して仕事ができる環境を整える。そのことで仕事の質は上がっていきます。京都アニメーション作品がいずれも好評を得ているのはその証左であると言えるでしょう。

また、京都アニメーションはアニメ制作の原画・動画・演出・背景・撮影という工程をすべて自社内で行うことを可能にしました。それによって、制作する作品の情報を全部門が共有し、徹底した品質管理ができるというわけです。

さらに、『AIR』や『CLANNAD』などのコンピュータゲームや、『涼宮ハルヒの憂鬱』、『響け!ユーフォニアム』のような小説、『らき☆すた』や『けいおん!』などの漫画といった「原作」を持つ作品を多く作ってきた京都アニメーションは、原作までも自社で生み出すに至りました。

毎年「京都アニメーション大賞」を主催し、小説作品を募集。優秀作は自社レーベルの「KAエスマ文庫」として出版し、アニメ化されます。ここから生まれた作品も多く、『Free!』(原作タイトル『ハイ☆スピード!』)、『境界の彼方』、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という人気作も「京都アニメーション大賞」から出たものです。

このように、京都アニメーションはよい作品だけでなく、よい作品を生み出せる環境をも自らつくり出してきたのです。それは革新的と言っていい働きです。この不断の努力が京都アニメーションの「丁寧・高品質」に結びついています。

見る人を引きつける「京アニクオリティ」

ここまでは京都アニメーションという会社について見てきました。本項では京都アニメーションの作品そのものについてお話ししましょう。

「京アニ作品は仕事が丁寧で高品質」というお話を、先の項でしました。今度は「巧い」「きれい」という「基礎」の上に積み重ねられるものがどのようなものなのかというお話をします。すべてを述べることはできませんが、まずはここにご注目いただきたい、という部分を挙げてみます。

色彩のみずみずしさ

京都アニメーションの作品をご覧になったことがないみなさんは、一度「京都アニメーション 作品」という文言で画像検索をしてみてください。そうすると当然、京都アニメーションの作品の画像がずらずらっと出てくるのですが、それらを見てお気づきのことがあると思います。

まず、いずれの作品も作画がしっかりしていて、絵に「間違った部分」がありません。1990年代以降に特に顕著になったのですが、漫画にもアニメにも「一見きれいだけど間違った絵」というものが高い割合で見られます。

デッサンが取れていない、人体の構造上、不可能なポーズ(難しいけど可能なポーズとは異なります)を取っている、光源が部分によって異なっていて陰影のつき方がバラバラ、などの間違いです。

商業作品にはこういった間違いがないのが当たり前なのですが、思いのほかたくさん見かける機会があるのが実情です。それが京都アニメーションの作品にはまったくと言っていいほどありません。

そして、際立つのが色彩のみずみずしさです。ただ色数が豊かなだけではなく、躍動感とでも言いましょうか、生き生きとした色彩が画面に展開されています。色使いだけでも訴えかけてくる何かが感じられます。

キービジュアルに「空」が描かれている作品が、京都アニメーションにもいくつかあります。その空はいずれも晴れた空なのですが、どれも同じ空ではありません。

通り一遍に青と白で塗り分けただけのものではなく、ストーリーのイメージや作中の季節、登場人物たちの心情などに照らして背景の空も、一作ずつ表情が異なるのです。

それは光と影の描写にも通じます。空に明暗があるように、光線が届くあらゆる場所には明るい部分と影の部分があります。京都アニメーション作品はそういったものの描写が実に鮮やかです。

たとえば『リズと青い鳥※』という劇場用作品は、全体的に淡いトーンでまとめられていますが、その中にも光と影がたくさんあります。

棚に並んで外光を反射するビーカー、ピアノの黒い筐体に映り込む弾き手の手や白い鍵盤、教室に差し込む陽光とカーテンの影など、淡いトーンから突出することはありませんが、それでいてビビッドに見る者の心に入り込んできます。これらの描写があることにより人物の描写がさらに映えるという場面もあります。

背景や陰影はどんな作品にも必ずあるもの。しかし、京都アニメーション作品のそれらは知らず知らずのうちに、ぼんやり見ているだけの者の心をも動かします。そういう力があるのです。

※YouTube「京都アニメーションチャンネル」で『リズと青い鳥(https://www.youtube.com/watch?v=lQxwNaoFdQQ)』ロングPVを見ることができます)

さりげなく、かつ細かな芝居

アニメーションでなくとも映画やドラマをご覧になる人はよくおわかりだと思いますが、さりげない演技がとても上手な俳優というのがいます。よく見ないとわからないような細かな芝居を積み重ねてひとつの役をつくり上げ、作品全体に影響するような人です。

たとえば、上野樹里という俳優は主役を張ることも多いので「主役の演技」に注目されがちですが、この人は指先まで芝居をする俳優です。コップを持つときの手の表情ひとつも役によって変わります。

京都アニメーション作品の登場人物もそういった細かな芝居をします。指の動き、視線の動き、ときには髪の細かな1本までが、見る者に少しずつ状況や心情を伝えていくのです。ときには、表情や視線を描写するのに顔は描かない、という手法が取られることもあります。

もう一度『リズと青い鳥』を例に引きましょう。この作品には、戸惑いや焦りなどを現すために手許を描写する場面がたくさんあります。

その手も正面からだけではなく、背面のときもあれば側面のときもあります。あるいは、その手すらも画面になく、ただ足許だけが画面に映る場面もあります。人物の感情や心の動きを表現するのは顔の表情だけではない、ということが、よくわかる場面です。

手を描写する指先までの演技。視線の移動(即ち心の動き)がよく伝わる「本人が画面にいない」描写。言ってみれば、「それそのものを描かず別のものを用いて表す」という純文学的表現です。それが繊細な少女の心情、その微細な変化を伝えてきます。

このような細やかな、精密な表現・描写を『リズと青い鳥』だけでなく、ほぼすべての作品において京都アニメーションは行っています。いいことなのかそうでないのか、これが「京アニクオリティ」と呼ばれ、高評価されているのです。

つまり、これまで制作されてきたアニメーションには、これだけのことができているものがごくわずかなのだということです。テレビ用アニメーションで顕著ですが、心情や状況をすべて台詞で説明してしまう、場面によって人物の顔(表情ではなく)が違う、アニメーションなのに動きがないなど、アニメーションとしてお粗末なものがあるのが事実です。こういった作品は、見ていて不安になるものです。

それは予算や制作時間の少なさが影響してのことなのですが、こういったことも高品質の作品がつくれるようにきちんと調整・管理できているのが京都アニメーションなのです。

仕上がった作品が高品質であることはもちろん、高品質の作品をつくり出す努力もまた高品質である。そのことによって京都アニメーションの作品は「安心して見ていられる」作品ばかりなのです。

おわりに

「京都アニメーションのすごいところ」についてお話ししてきました。京都アニメーションは会社としての立ち方からアニメーションを変革し、安定した高品質を生み出しています。その質の高さはまさに「神は細部に宿る」。みなさんも京都アニメーション作品の細部に宿るものを、ご自身の目で確かめてください。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください