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子供の頃のおかしな勘違い。言葉や標識、ロゴマーク…みんな間違えて大きくなった!

LIMO / 2019年9月2日 20時45分

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子供の頃のおかしな勘違い。言葉や標識、ロゴマーク…みんな間違えて大きくなった!

子供には子供の世界があって、大人の世界から聞こえてくる言葉は子供には不思議な響きをもって聞こえてくるものです。子供の世界の言葉に照らして理解を試みて、それが間違っていたとわかるのは、大人になってからのこと。

そういう大人になってからわかった「子供の頃の勘違い」を白状……いえ、打ち明ける、その名も「#子供の頃の勘違いをあえて言おう」というタグがTwitterで話題となりました。ここではその中から秀逸な勘違いをいくつかご紹介しましょう。

子供あるある

多くの子供がそう思っていて、あるとき事実にふと気づく。それは大人の世界へと続く門の前に立った瞬間なのかもしれません。そんなよくある勘違いです。

「汚職事件をお食事券だと思っていた。お食事券でいくらまでのお食事なら食べていいよ、って決まってて、その金額以上の高いお食事を食べちゃったのがバレてニュースになってるのかと思ってた。」


「おしょくじ・けん」ではなく「おしょく・じけん」だった……まさかそんなところで区切れるなんて! 子供の視野が広がる瞬間。

「うちわもめって、団扇でたたき合ってケンカすることだと思ってた。」


「うちわ」と言えばパタパタするやつ。類似した言葉に「うちわうけ」というのもありまして、団扇を使って何かをキャッチすると思いますよね。

「隔世遺伝のことを覚醒遺伝と思ってた。
一族に受け継がれる何かに目覚める的な」


ちょっとオトナがかった子供の勘違い。「かくせい」と言えば「覚醒」に決まっている!と思っているものです。

ちょっと目が覚める勘違い

「勘違いしやすい素材」というものは、あります。先の項でご紹介した「おしょくじけん」などはまさしくそれです。多くの人が同じ素材で同じ勘違いをするものですが、中には素材は同じでも違う勘違いをしている人もいます。

ここでご紹介するのは、そういうちょっと違った勘違いです。勘違いの方向が異なると、新しい発見をしたときのような目が覚める思いがするものです。

「ア ル プ ス 一 万 尺 隣 の 家 で」


「小槍の上」を「子ヤギの上」と勘違いする人が多い中で、思いも寄らぬ「隣の家」。アルプス一万尺は思いのほかご近所でした。

「植民地を食ミンチだと謎の勘違いして『えっ日本人食われんの』とか思ってた」


「しょくみん・ち」ではなく「しょく・みんち」。こう間違えて当たり前のようにも思えます。なぜ自分はこの勘違いをしなかったのかとくやしくなるくらいの完成度の勘違いです。

「天文系の図鑑とかを読んで、新月の晩は空にこういう点線の月が浮かぶものかと思っていた。」


このように出てくれないと、新月が出ているとはわかりません。きっとこう出ているはずと信じて然り。同様に、星座は本で見るように線で結ばれていると思っていた人もいます(※筆者)。

「誘拐されやすい場所だと思ってた」


ソフト帽をかぶった怪しげな男と手を引かれる少女のシルエット。どう考えても誘拐です。ペイントの型のでき具合によるのか、標識によっては輪郭がヨレヨレのシルエットや角張ったシルエットがあって、怖ろしさ倍増です。

「かごめかごめ かごのなかのとりは いついつ
JR」


平成の子供ならではの勘違いとは言えないでしょうか。国鉄が民営化されてJRになったのは1987(昭和62)年、昭和が終わる間際のことです。

ロゴの解釈違い

イラストや図というものは「みんなこう見えるよね」という前提でつくられるものですが、秀逸なロゴほど単純化されていて、そのおかげで解釈の余地が大きくなります。その広い余地に、こどもの想像力が羽ばたくのです。

「しまむらのことをレまむらって読んでた(笑)」


文字に不慣れな子供にはカタカナとひらがなの区別は難しい。「し」ならもっとまるく曲げてよ、と思っても仕方がありません。外国から来た人も同じ勘違いをしているかも。

「イエローハットのこのマークを顔だと思ってた。」


やあ、ニヒルな笑みのヒーロー!……と思っていたのにただの帽子だなんて、ひどい仕打ちにも思えます。You are my only hero.

「魚だと思ってたらヒゲのコックさんだった。」


魚に見えない人はマークを左に90度回転させてみてください。するとあら不思議、こいのぼりのようなおさかなが現れます。ドーナツはおさかながつくっていたんだね……!

まとめ

勘違いとは、余白の広さであり可能性です。同じものを見聞きして、子供は大人とは異なるものを認識するのです。

知識・認識を得て「正解」を知るということは、ひとつのものにたったひとつの認識を規定し、余白を消し去ってしまうということでもあります。それは思いのほか、世界を狭くしてしまっているかもしれません。

子供の頃の勘違いを、間違いとして忘れ去るのではなく、余白の記憶として持ち続けてみませんか。そうすれば世界が狭くなるのを防げる……かもしれません。

何を申し上げたいかと言いますと、「勘違いは悪いものではない」ということです。過去の勘違いを恥じることなく、未来の勘違いを怖れることなく生きていきましょう。

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