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「マイノリティ」ってなんだろう~性的マイノリティのこと

LIMO / 2019年9月28日 21時20分

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「マイノリティ」ってなんだろう~性的マイノリティのこと

多様性を祝うお祭り「レインボーフェスタ和歌山」に行ってきました【前編】

筆者が住む和歌山市では、毎年9月に「レインボーフェスタ和歌山」というイベントが行われています。今年2019年で3回目。来場者は年々増加し、市民にも少しずつ定着しつつあるようです。

今年は9月14日・15日の2日間、開催されました。本稿では前後編の2回に分けて、レインボーフェスタ和歌山というイベントの様子と、その主題となるマイノリティについてのお話をします。

レインボーフェスタ和歌山ってどんなイベント?

「レインボー」の意味

レインボーフェスタの「レインボー」とは言わずもがな、空にかかる「虹」のことなのですが、日本では7色とされている虹は多様性、ことに「性の多様性」のシンボルとされています。

いくつもの色が同じ場所にありながら、混じり合うのではなくそれぞれが独立していて、けれどもきっぱり7つ色に分かれているわけではありません。虹は赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の7色が並んでいますが各々の色と色との間に境界線はなく、赤色と橙色の中間の色や、黄色と緑色の中間の色も虹の中にはあって、そのさまはグラデーションです。それが虹の色のあり方であり、性のあり方に通じています。

たとえば、男性と女性。これら2つの性の間に「ここまでは男性、ここからは女性」と言ったはっきりとした境界線があるわけではありません。女性の要素を多く持つ男性もいれば、男性のような気質の女性もいます。男女どちらとは言いがたい性質の人もいます。2つの性の間もやはり、虹の色と同じくグラデーションのように少しずつ変化していくものです。

2つの性だけではありません。たとえば異性愛と同性愛というセクシュアリティも、「ここまでが異性愛、ここからは同性愛」という区切りはありません。異性が好きだけど同性が絶対だめでもないという人や、同性愛者だけど異性とのお付き合いも可能という人もいます。異性も同性も愛さない人もいれば、異性も同性も愛せるという人もいます。それらの間もやはりグラデーションです。

このように性・セクシュアリティとは、異質なものが隣り合って混じり合うことがなく、けれども喧嘩し合うこともない虹の色のようであり、虹・レインボーは多様性を表すものとして用いられています。

レインボーフェスタ和歌山はレインボーを掲げることで性の多様性はもちろんのこと、あらゆる立場の人が同時に存在するという多様性を尊重し、祝うお祭りとして開催されています。

「性的マイノリティ」はどんな人たち?

さて、ここではさまざまなマイノリティのうち、「レインボー」を掲げるイベントが概ね中心として捉えている「性的マイノリティ」についてのお話を、ごくごくかんたんにしてみます。細かい点で正確ではない部分もありますが、まずは概略、「だいたいのかたち」をおわかりいただければと思います。

人が捉える「性別」には2通りあります。ひとつは自分自身の性別、もうひとつは相手の性別です。「相手」には話し相手だったり仕事相手だったりいろいろいますが、ここでは「恋愛対象として好きになる相手」としましょう。

自分自身の性別と好きになる相手の性別が一致している場合、これは同性愛ということになります。異なっている場合は異性愛です。同性愛をホモセクシュアル、異性愛をヘテロセクシュアルと呼ぶことがあります。

さらに細部に目を向けると、自分自身の性別にも2通りあります。自分が認識している自分自身の性別と、生まれたときに判定された性別です。人は生まれるとき、多くの人は母親以外の誰かの立ち会いの下で生まれてきます。

たとえば産科医が立ち会った場合、生まれた赤ちゃんの性別を判定するのは赤ちゃん本人ではなく、産科医です。本人の意志や意見は尋ねられることがありません。本人ではない人が判定した性別は概ねそのまま戸籍上の性別になります。

産科医が判定した性別と生まれた人がのちに認識する本人の性別は大抵一致しますが、そうではない場合もあります。生まれたときに判定された性別と自分自身が認識している性別とが一致していること、またその人をシスジェンダーと言います。

これが一致せず、生まれたときの判定とは異なった性別で生きていきたいと思う、または既にそのように生きている人をトランスジェンダーと呼びます。

社会で一般的とされているのはシスジェンダーかつヘテロセクシュアルの人たちです。この人たちをシスヘテロと呼びましょう。そして、シスヘテロ以外の人たちが、性的マイノリティです。

レインボーフェスタ和歌山は多様性のお祭り

レインボーフェスタ和歌山は当初、性的マイノリティについての啓発イベントとして企画されましたが、開催までの間に少しずつ変化があり、性的マイノリティだけのものではなくなりました。

身体や精神に障害がある人たち、日本ではない国にルーツを持つ人たち、難病を抱える人たち、めずらしい趣味を持つ人たち、あまり知られていない仕事をしている人たち、学校に行かない人たち……世の中にはさまざまなマイノリティがいます。

マイノリティであるがために普段いないことにされてしまいがちな人たちにスポットを当て、「自分たちはここにいる」と声高く言える場所をつくろう、そして、さまざま存在するマイノリティの人たちが、またマイノリティではない人たちも、垣根なくみんな「いっしょくた」になって楽しめるお祭りをつくろう、とレインボーフェスタ和歌山は始まりました。

「障害」だとか「難病」だとか「外国籍」だとか、あるいは「性的マイノリティ」だとか、いろいろな「属性」を持つ人たちが存在します。そういった人たちは誰に気兼ねすることなく存在して構わないし、特異なもの扱いされる必要もありません。さまざまな人がいて当たり前であり、それが多様性です。レインボーフェスタ和歌山はさまざまな人がいることを肯定し、祝うお祭りです。

取材に行った筆者のこと

筆者はマイノリティです。女児として生まれ、女性として育てられ、現在はおじさんです。生まれたときに女の子と判定され、身体も女性のかたちをしていましたが、自分を女性だと認識できたことは一度もありませんでした。

そのためジェンダークリニック(性同一性障害専門の医療チーム)がある病院に通い、海外で性別適合手術を3回受け、その後、戸籍上の性別を「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(法律第111号)」に則って訂正しました。

現在は身体のかたち、法律上の性、日常生活上の性、いずれも男性です。手術の後遺症のため排尿障害など多少の不便はありますが、表面上、女性でいた頃よりはのんびりと生活できています。

女性として成長して、男性として生活して。筆者はその両方を経験しています。また同時に同性愛者であり、精神障害者福祉手帳を持つ者であり、実父からの虐待を生き延びた者でもあります。

その上に、オタクだったりスキンヘッドだったりガラケーユーザーだったり、社会においてマイノリティ(少数派)とされる要素をいくつも重ね持っている、いわばマイノリティ中のマイノリティです。

和歌山市で生まれ育ったマイノリティ中のマイノリティですので、和歌山市のマイノリティが自分たちの存在をアピールし、「あらゆる人」を尊重し、多様性を祝うというイベントには強い興味がありますし、マイノリティのことを多くの人に知ってほしいという気持ちが常にあります。

レインボーフェスタ和歌山のことやイベントの様子をお伝えすることで、みなさんにマイノリティについて考えてみるきっかけとしていただきたく思い、本稿に着手しました。

マイノリティは特別な人ですか?

「性的マイノリティは特殊な人たちで、テレビの中の人。実際には会ったことがないし、身近にはいない」。このように考えている人が意外に大勢おられるようです。結論から申し上げますと、そんなことはありません。みなさんはおそらく地元の街でも性的マイノリティとされる人とすれ違ったりしています。

性的マイノリティとは言っても、本人がそのことを口にしない限り性的マイノリティであることはわかりません。それとわかるような特殊な容姿や生活をしているわけではないからです。

みなさんと同じように、毎日ごはんを食べて、風呂に入ったり仕事をしたり、本を読んだりゲームをしたりというような日常を過ごしています。散歩もすれば買いものにも行きます。だから、すれ違ったり近所に住んでいたりしてもそれと気づかないだけなのです。性的マイノリティはどこにもいます。

性的マイノリティだけではありません。たとえば耳が聞こえない人や話せない人は会話をしなくてもいい場面では、聞こえないことや話せないことは本人以外にはわかりません。内臓に疾患がある人などもそうです。道行くあの人はいわゆる歴女かもしれません。鉄ヲタかもしれません。いかにも日本人然とした風貌のあの人は実はフランス国籍の人かもしれません。

そんな風に一見してわからないだけで、さまざまな人が身近に行き来しています。「マイノリティ」、「少数派」とは言いますが、特定の場所に隠れ住んでいるわけでも特別に目印がついているわけでもありません。「会ったことがない」、「見たことがない」というのは、そばにいることに気づいていないだけなのです。

もっと端的に言うと、マイノリティとされている人たちは「自分はマイノリティではない」と思っているみなさんと同じ人間です。何ら特別なことはないのに特別だと考えている人たちに特別なものとして扱われているだけで、実際はみなさんと同じように普通に生活しています。

マイノリティというのは、人の一面に過ぎません。誰でもマイノリティの面を持ちながらマジョリティ(多数派)の面を持ちます。その反対に、マジョリティの人にもマイノリティの一面がどこかにあるはずです。

たとえば、マイノリティ中のマイノリティであると名乗った筆者も、「凡才である」、「カレーライスが好き」、「右利きである」などの点ではマジョリティです。同様に、誰もがマジョリティでありマイノリティです。誰にとっても、マイノリティの問題は無関係ではないのです。

なかやすみ ー 一旦まとめ

レインボーフェスタ和歌山というイベントについて紹介するために、導入としてマイノリティについて、また性的マイノリティについてお話ししました。ずいぶん長い語りでしたが、要点は次の通りです。

・性的マイノリティはどこにでもいる普通の人
・誰もがマイノリティでありマジョリティである
・人はそれぞれが異なっていて当たり前
・異なっている人たちが互いを尊重し合って存在するのが多様性

本稿をここまでお読みくださったみなさんは、上記4点をどうか覚えていてください。そしてできれば、誰かにこのお話をしてみてください。

本稿に続く後編では、いよいよレインボーフェスタ和歌山というイベントの中身についてお伝えしていきます。さまざまなマイノリティがステージに立って表現するさまや、イベント来場者及びイベント実行委員から伺ったお話などをまとめていますので、引き続きお読みいただければ嬉しく思います。

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