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「しつけ」と「虐待」の境界線とは?今問われている「大人力」

LIMO / 2020年1月1日 9時10分

「しつけ」と「虐待」の境界線とは?今問われている「大人力」

「しつけ」と「虐待」の境界線とは?今問われている「大人力」

しつけと称した児童虐待による痛ましい事件が、連日報道されています。そんな報道を見るたびに胸が痛み、虐待した大人に対して怒りを覚える方も多くいらっしゃることでしょう。

ですが、実際に子育てをしている中で「これって、もしかして虐待かも…?」と感じたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか?実際に、しつけと虐待の境界線はどこなのか…検証していきたいと思います。

これも「虐待」?さまざまな形を検証する

2019年12月、厚生労働省が体罰にあたる行為を具体的に示したガイドライン「体罰等によらない子育てのために(素案)(https://www.mhlw.go.jp/content/11907000/000573078.pdf#search='%E8%99%90%E5%BE%85+%E3%81%97%E3%81%A4%E3%81%91+%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3')」を公表しました。

このガイドラインに書かれている具体的な例に関して、多くの人から「これも虐待になるの?」という声が、SNS上でも多くあげられていました。

• 口で3回注意したけど言うことを聞かないので、頬を叩いた
• 大切なものにいたずらしたので、長時間正座をさせた。
• 友だちを殴ってけがをさせたので、同じように子どもを殴った
• 他人のものを盗んだので、罰としてお尻を叩いた
• 宿題をしなかったので、夕ご飯を与えなかった。

ガイドライン上では、上記にあたる行為はすげて「体罰」になるとのことです。

親のいうことを聞き過ぎる子ども

親のいうことをよく聞く子どもは、一般的には「良い子」に分類されます。また、他から見ても良好な親子関係を築けているように見えます。

ただし、子どもが目に見えない親からの圧力を感じ、不安な気持ちを大きくしている場合には、精神的虐待に位置付けられることがあります。

• 親が厳しく指導している
• 進学する学校の選択は親
• 他の家庭の進路を気にして、我が子と比べる
• 「親は子どもに常に寄り添い、助言をするべき」と考えている

このような点が当てはまったら、要注意です。
親からしてみたら愛情だったとしても、子ども側からしてみると親の存在が恐怖であり、怒らせないようにただただ言うことを忠実に受け止める以外の選択肢が無かっただけ…という状況は、とても危険です。

このような状況が続けば、子どもはいつまでたっても親から自立することができず、反抗期になってもうまく自分を表現することができないため、行動だけでは無く健康面にまで支障をきたしてしまうことがあります。

自尊心を傷つけるしつけ

例え小さい子でも自尊心があります。その自尊心を、親の無意識な言動で傷付けている可能性もあるのです。例えば、以下に当てはまるようなことを言ってしまってはいないでしょうか?

• 「あんたはダメなんだから!」と人格を否定する発言
• 自分の感情に任せて、子どもに対する口調が強くなったり八つ当たりする
• 理由は説明せずに「ダメ!」と怒鳴るだけで終わる
• 子どもの遊びに「何でそんなことしたの?!」と問いただす

このような言動を、大人が大人に対してやっている姿は見たことがありません。ただ、親が子どもに対してやっている姿は、なぜか想像できてしまいませんか?その時点で、大人と子どもに対しての人権が異なる、子どもの人権を軽くみてしまっている、という傾向をうかがい知ることができるのです。

親も人間。感情的になってしまうことも…

上記にあげたような例は、大人に余裕が無いために起こってしまうケースが多く見受けられます。

悪意を込めてやっている人も、もしかしたらいるかもしれません。ですが、ほとんどの親達は「ダメだと分かっているけど…」と、言ってしまった後に反省・後悔している人が多いのです。

親といえども人間です。感情的になってしまうこともあるでしょう。そのような場面では、親はさらに自己嫌悪に陥り、場合によってはさらに無意識で子どもに当たってしまうという、悪循環が生じてしまうこともあります。

そのような時には、「大きく深呼吸する」「頭の中でゆっくりと10数える」「トイレや部屋など、個室にひとりこもって気持ちを落ち着かせる」というような、即席の方法でも良いので、まずは気持ちを切り替えてみてはいかがでしょうか。

「しつけ」と「虐待」の境界線、それは…

「しつけ」と「虐待」の境界線、それは、簡単に言ってしまえば『子ども主体であるか、子どものことを優先してやった(言った)ことか』という違いに他なりません。

ただ大人の都合を押し付けた結果では無い、親の感情を優先しただけではない…ということが前提となります。実際の行動からは、このような境界線の違いを判断するのは大変難しいものです。

だからこそ、親は悩み、我が子と向き合う必要があるのです。「(自分の)子ども」としてでは無く「ひとりの個人(人間)」として向き合い、意見を聞くときには同じ目線で聞き、導いてあげる時には背中を押してあげる…そんな「頼られ、求められる大人」になれたら、とてもステキだと思いませんか?

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