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夫の両親と同居していた私が、まさか!家を追い出されて感じたこと

LIMO / 2020年1月6日 20時0分

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夫の両親と同居していた私が、まさか!家を追い出されて感じたこと

年末年始で、伴侶の実家に帰省した方、またその親戚にあいさつをされたという方も多いのではないでしょうか。もっとも、今回は結婚後、意を決して夫の両親と同居し、こともあろうか家を追い出されるという内容です。同居を避けている人からすると「そんなことがあるのか」という話かもしれません。結婚、お金、介護など様々な観点から伴侶の家族との同居問題について考えていきます。

幼少期の原体験から親戚づきあいを避ける

愛する人と結婚。結婚は「ハッピー」の始まりではなく、「戦い」の始まりだとも言われます。

それはなぜでしょうか。

その理由の一つとしてあげられるのが、結婚する相手の育ってきた環境、家の習慣の違い、そして考え方の違いなどをあげることができます。そもそもそうした文化の違う他人との生活は、「摩擦」ばかりであり、これが「戦い」の原因ともいえます。

 

愛する相手でさえ、分かり合えずに、モヤモヤすることもあるのです。いってしまうと、義両親や義兄弟とうまくやれる、と考えること自体が難しいともいえます。

私は、幼少期に母親と義両親、義兄弟のいわゆる「嫁姑問題」を目の当たりにしてきました。大好きだったはずの祖母や祖父が、時折、自分の親に厳しく当たる光景を目にして以来、親戚付き合いを極力避けて生きてきたような気がします。

結婚するときの夫の唯一のお願いとは

そんな私が結婚する事になった時、夫になる人からひとつだけお願いがあると言われました。

「結婚したら自分の親と同居して、面倒を見たい。自分は長男だし、その責任があるのだ」と。

私の経験からすれば、「どんなに良い結婚相手でも、同居だけはダメ」と、自分でも心に誓ってきました。また、自分の親も嫌な思いをしてきたということもあり、結婚相手の家族との同居はきつくダメだと言われて育ってきました。ですので、結婚をするときには、過去の経緯や私の思いを夫に正直に伝えました。

しかし、夫は「うちはそんな家庭ではない。きっと上手くいく」の一点張りでした。こうしたやり取りもあり、私は今振り返ってみるとマリッジブルーに陥っていたと思います。

決心して飛び込んだ夫の実家

好きになった人、ましてや結婚を決めた相手を、こんな理由で、別れましょうとはなれなせんでした。

ただ、今思い返せば、十分に結婚をやめるという要素だというのは付け加えておきます。

夫になる人からそこまで言われた以上、「いつかは同居しなきゃならないのなら、最初からやってやるわ!」と半ば開き直り、2世帯住宅でもない、一軒家に私は飛び込んだのです。

当初は辛くないはずはないと想像していましたが、私の考えは非常に甘かったということが分かってきました。

私はというと、ストレスで体調が悪化。そして、居場所がなく、狭い部屋に閉じこもる日々。食べたい時に食べられない、寝たい時に寝られない、自分の好きなインテリアにも出来ない大好きなお風呂には入浴剤も入れられないし、入るのはいつも最後。

そう、すべてが夫の両親のペースでの生活です。そこに、幼子を連れて長期滞在する義理の妹。もはやそこに私のペースや自由な時間や空間を確保するというのはほとんど無理だったといえます。

ただ、義両親は余計な事は言わないし、優しくて本当に良くしてくれたとおもいます。仮にこの先、夫と別れるようなことがあっても、この人達には会いたい。そう思える瞬間があったのも事実ですこうした心境になるのには10年近くの歳月を要しましたが、そう思ったのは事実です。

私の場合は嫁姑問題ではなく、嫁舅問題

しかし、そうは思っていられない状況に直面することになります。

我が家の場合、世間でよくある嫁姑問題ではなく、舅による家庭での独裁が問題でした。

舅は齢70代後半。歳を重ねれば誰でも身体も思うように動かなくなるでしょう。しかし、本人はそれをなかなか認められません。一歩も動かず、結果、体重は増え続け、そのために体調が悪くなりました。

また、家族が何か注意をしても、誰の言うことも聞かず、「俺は正しい」の一点張りです。

たしかに、本人の頭の回転は速く、年齢の割にはといっては失礼ですが、パソコンもお手の物です。会話の内容も若いし、とにかく人の批判が大好きな人です。

しかし、年齢には抗えないというのが私の正直な感想です。自分の不摂生はさておき、「自分は何か重大な病気なはずだ」と信じきっていました。

毎日インターネットで検索しては、病院にいき、無理矢理、診断をもらって、なぜか嬉しそうに帰ってくるのです。そして。入院となれば、その喜びは頂点になるという、私から見ればなんとも不思議な状況です。そのような事をここ数年繰り返していました。

話はそれますが、こうした高齢者が多いという前提に立てば、日本の医療費増加に歯止めをかけるのもさぞかし難しいなとも思ったりしました。

本当に何もしない夫

同居にあたり、私は嫁姑問題として起こり得るであろう台所の領域問題や家事の分担について、早々に放棄していました。

義母が元気なうちはすべてやっていただくという事が暗黙の了解となり、私はお手伝い出来る範囲で助けるだけに徹していました。自分のやり方と違うのだから、モヤモヤした時期もありました。

その一方で、完璧に家事をこなす義母を尊敬していました。そうしたこともあり、義母との間では、さほど大きな問題は起りませんでした。義母は良く出来た方で、本当にお世話になったと感じています。

さて、義父は頑固者で家での独裁状態であるものの、夫である長男に対しては、信念を曲げずに、やりたい放題させていました。

そうしたこともあり、夫は何もしない人でした。本当に何もしてくれないのです。ここまでお話したように同居前から同居についていろいろ悩んでいた私のフォローをしない時には、さすがに私も堪忍袋の緒が切れたことがありました。

夫のこうした状態は、実は親にとっても悩みの種でした。

結婚してからも親からは「あいつはなにもしてくれない」と言われ続けていました。挙げ句の果てには私に向かって「なんであんなのと結婚したんだ?」と言い出す始末。それくらい夫は本当に何もしてくれないのです。

夫が何もしなかった本当の理由

こういったお互いの微妙なすれ違いで、ついに双方爆発してしまったのです。

ここまで親に暴言を吐いた事が無かったという夫が、反抗したのです。それに驚いた義父が「病気になったのもお前らのせいだ!」と爆発してしまい、「今すぐ出て行け」となってしまったのです。

その後、私たちは家を出ることになるのですが、追い出されてからわかった事ですが、夫は自分の父親が独裁政治でやりたい放題で、何をやっても気に入らないと怒り出すので、あえて何もしなかったし、反抗もしなかったというのです。

そうした息子の思いを知る由もなく、私含め義母や義父はどうしたら家の事をやってくれるのかを永遠に議論していたのでした。

支えたくても支えられない家族

こうして、とてつもない覚悟のもと始めた夫の両親との生活、そして長く辛く、でも楽しかった同居生活はあっけなく幕を閉じたのでした。振り返ってみると、やはり、同居はするものではないと身に染みて思うのです。

話はやや飛びますが、こうした経験を踏まえて私の介護の見方が変わり案した。介護は家族で面倒を見るものという思い込みがありましたが、もしかしたら自分の介護は自分で準備して対応する時代に入ってしまったのかなとも思います。

単純に家族の手を借りるかどうかといっただけではなく、お金の準備についてもいえるかと思います。介護に関しては、自分の家族でさえ、分かり合えず、悲しい事件の報道を耳にすることもあります。

 

伴侶の家族とはいえ、突き詰めていえば「赤の他人」ともいえます。もちろん、家族がみんなで幸せに暮らすことができるとは信じたいのだけれども、少なくとも私の目の前では、家族との関係だけを見ても、なかなか難しかったというのもまた現実です。

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