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「ごめんね」と言わずに出かけられる…妻が望む「自由時間」とは

LIMO / 2020年2月14日 16時15分

「ごめんね」と言わずに出かけられる…妻が望む「自由時間」とは

「ごめんね」と言わずに出かけられる…妻が望む「自由時間」とは

1年に1回か2回だけ、夫に子どもを預けて友人と食事に行ったり同窓会や結婚式などに出かけたりすることがあります。

そのたびに夫は快諾してくれ、筆者も楽しい時間を過ごすことができます。もちろん夫には感謝しています。しかし、「あなたは定期的に自由な時間を持つことができていますか?」と聞かれると、素直に「はい」と言えない自分がいるのです。

出かけるまでの長い道のり

ある日のことです。近くの映画館で、とある映画が夜8時からのレイトショーで1日限り上映される、という情報を入手しました。それを逃すと他の日に上映されることはありません。しかもその日はその映画を撮った監督の舞台挨拶も行われるというのです。

ずっとその監督のファンで、彼の話す言葉に深い感銘を受けていた筆者はどうしてもそのイベントに行きたくて仕方ありませんでした。

我が家は小学校低学年の娘と夫の3人家族。夫は仕事柄、飲み会も多く、夜も家をあけることが頻繁にあります。そのため夫の予定および夕食の有無はすべてカレンダーに書き込んでもらうようにしています。

筆者は祈るような気持ちでカレンダーを確認すると、幸いその日は空白。帰宅した夫にすぐに「この日、〇〇という映画が上映されて、監督が舞台あいさつに来るので観に行きたい」と告げました。

夫は「もちろん、楽しんでおいで」と快諾してくれました。

上映日まで2週間。そこから筆者の祈るような日々がスタートしました。

どうか夫に飲み会が入りませんように、誰かから食事の誘いが来ませんように…。それだけではありません。折しもインフルエンザが大流行の季節、娘は病気になると側にいてくれと筆者に懇願します。どうか娘が病気になりませんように…。

何事もなく当日を迎え、ホッとしたのもつかの間、次は出かけるために家の準備を完璧にしておかなければいけません。ふたりの夕食を作り、お風呂のセット、お風呂上がりのパジャマの準備、寝床の支度…。すべてが終わってから夫に告げます。

「食事の後の食器は流しに入れておいてね。娘は9時には寝かせてね。ごめんね、今日はありがとう。行ってきます」

すると夫はすかさずこういうのです。

「楽しんでおいで。で、何時に帰ってくる?」

「わからないけれど、映画が2時間で舞台挨拶が30分程度。でも映画の上映後にサイン会があるらしくて、それも絶対に参加したいから…。11時過ぎになるかな」

映画もトークショーもとても素晴らしく、無事サインまでもらえた筆者、ふと時計を見ると10時30分。本当は映画の余韻に浸って一杯飲みたいところだけれど…夫と娘の顔が目に浮かび、慌てて帰宅したのでした。

うらやましいなぁ…と妻の本音

この話を友人にしたところ、こんな話をしてくれました。

「夫婦で同じ託児クラスありのエクササイズに通ってるんだけど、私は子どもがまだ小さいから、週に2回の託児があるクラスにしか通えない。その点、夫は時間が空いたら好きな時に身軽にクラスに行けるんだからうらやましい。『あぁ、いい汗かいた』なんて帰ってくる姿を見ると、ちょっとモヤっとする」

別の友人はこう言います。

「私が子どもを夫に預けて出かけると、必ず『何時に帰ってくる?』って聞いてくる。私は夫が飲みに行くときに『何時に帰る?』なんて聞いたことないのに」

筆者の夫も、友人ふたりのご主人も、とても育児に協力的です。でも、誰かに「あなたたちは自由な時間がありますか?」と聞かれると、どうしても答えに窮してしまう。

なぜなら、筆者たちが思う自由時間とは「思い立ったときに誰にもお伺いを立てずに、身軽にすぐに、行動できる時間」のことなのです。

もちろん世の中には、映画のレイトショーなんてとんでもない!という奥さんもたくさんいるでしょう。それはじゅうぶん承知の上です。でも、レイトショーに限ったことではありません。特に子どもがまだ小さいと、「お醤油切らしたからちょっと買いに行ってくる」という、「ちょっと」の時間すら持てないのです。

ある程度子どもが大きくなったとしても、自分自身に植え付けられた「子どもが独立するまでは、母親は子どものことを第一に考えるべき」という考えが、ほんの数時間レイトショーを観に行くのにも罪悪感とうしろめたさを抱かせ、その罪悪感を少しでも軽減するために、家のことを完璧にしなければいけない…という気持ちが湧いてくるのです。

まとめ

多くの母親は、自分一人で出かけるときに、夫もしくは子どもに「ごめんね」と告げる…と聞いたことがあります。

「ごめんね、すぐ帰るから」「ごめんね、ちょっと待っててね」

このことを友人と冗談交じりで「ごめんねの呪縛」と話したのですが、あながち言葉遊びではないのかもしれません。

もちろん家族の時間は大切ですし、何物にも代えがたいものです。でも、それは決して「自由時間」の代わりにはなり得ないのだ、ということをもう少し広く知ってもらいたい、そんな風に思ってしまったのでした。

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