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「良い母親」になれない…。悩んだ末に行き着いた”演じてみる”という方法

LIMO / 2020年3月4日 10時45分

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「良い母親」になれない…。悩んだ末に行き着いた”演じてみる”という方法

出産から1年半、毎日ほぼワンオペ状態で子育てをしている筆者。1年半というまだまだ短い期間しか母親業をこなしていませんが、筆者は世に言う「良い母親」になりきれていないモヤモヤをずっと抱えてきました。

子どもを産んで子育てをしていてもなお、「母性」とは何かもよくわからず、また「母親」「ママ」と聞いて多くの人がイメージするような「穏やかで優しく何でも受け止める、聖母のような女性」になんて全くなれていないと自覚しているからです。

しかし「私って母親に向いていないなあ」と自信をなくした時に考え方を変え、とあることを実践してみたら子育てが少しラクになりました。

出産前にイメージしていた「母親」に全くなれていない

筆者が子育てをする前に思っていた母親像とは、どんな困難があっても、いつでも子どもを愛し、慈しむ感情が常に体の奥から溢れ出ているようなイメージでした。きっと、それが「母性」というものなのだろうと思っていました。

そして子どもを産んで子育てを頑張っていれば、感情の起伏が激しい筆者も自然とそんな女性になるのだろうとも考えていました。しかし、実際に子育てをしてみても、自分自身の性格や性分が全く変わらないことに気付きます。

まず、子どもの理不尽なイヤイヤに遭遇すると、「はいはい、嫌だったんだね~」とおおらかな気持ちで受け止めるなんてできません。

疲れていたり時間がなかったりすると、「どうしてこうなっちゃうの!」と子ども以上に駄々をこねたり「もう無理ー!」と子どもが目の前にいるのに半泣き状態になったりしまいます。もちろん子どもはとても可愛く、育てなくてはいけない責任感は常に抱いていますが。

イライラして精神的な余裕が保てないと、「このまま虐待とかしてしまうんじゃないか」と自分自身が怖くなったり、「やっぱり母親に向いていない人間なんだ」「こんなに母性がないなら、子どもを産まない方がよかったのではないか」「こんな母親なんて子どもがかわいそうだ」と自暴自棄な考えに陥ったりすることも。

イメージしていた母親像と現在の自分があまりにもかけ離れていることに、不安や焦り、子どもへの申し訳なさなど複雑な気持ちを抱き続けていました。

子育てにおけるイライラやストレスは、言うことを聞いてくれない子どもに対するものもあれば、家事育児に協力してくれない夫への苛立ちなど、さまざまなものがあると思います。その中でも筆者は、この「なりたかった母親像になれていない」ことで、自分自身への焦燥感にさいなまれていたのです。

イライラしてしょうがない時、ドラマで母親を演じる女優になりきってみた

そんな時、考え方を変えてみたことがあります。それは、「理想の母親になれないのなら、理想の母親をコスプレのように演じてみたらいいのではないか」ということ。

そこで、好きな家族ドラマで母親役を演じていた某女優になった気持ちで子どもと接してみました。子どもがグズグズしてどうしようもない時に、子ども相手に一人芝居をしてみたのです。

しかし、特定の女優に限ってしまうと、なかなか長続きしませんでした。そのため、「今日はこの肝っ玉母さん役のベテラン女優で」「今回は若いママ役のあの新人女優風に」と気分によって投影する女優を変えて楽しんでいました。

また、子どもを寝かしつけるために歌をうたう時はEテレの歌のお姉さんに、子どものご飯を作る時は料理番組に出る料理研究家に、はたまた子どもが食べ散らかした食べカスを掃除する時は掃除機のCMに出るタレントやテレビショッピングに出る外国人になりきってみます。

「今夜は全然寝ないでグズグズだね~! じゃあ、もうお姉さんが勝手に歌っちゃうよ~♪」、「この掃除機は、あなたがこ~んなに食べ散らかしたたくさんのゴミを一気に取ってくれるのよ。すごいでしょう?」と子どもに向かってやっていました。

客観的に見たらだいぶ恥ずかしいものでしたが、「バカバカしいな」と自分でも笑ってしまうような状況を作り出すことで自然と精神的な余裕が生まれていく気がしました。

「素の自分と違うけどコスプレだ。なりきりだ」と思うと気がラクになり、大変な子育ても一息つきながら楽しめるような感覚があったのです。

素の自分が“母親”っぽくなくてもいいじゃないか

筆者が「母親のコスプレ」と言いたくなるのは、自分自身が理想の母親像になれていないことだけでなく、「母親らしさ」という漠然としたものに時々押しつぶされそうになるからです。

それは「母親なのだから〇〇するべき」「母親ならこうだ」という、すべての母親に押し付けられる理想像です。その人らしさや各家庭によって異なる状況をないものにして、確固たるひとつの“母親”から少しでもはみ出す人を良しとしない世間からの視線に、多くの母親は苦しんでいるのではないかと思います。

素の自分がいわゆる“母親”っぽくなくていい。母性なんかなくたっていい。そんな風に自己肯定しながら「母親のコスプレ」という考え方で、子育てを少しでもラクにしてみてもいいのではないでしょうか。

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