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「産んで後悔している」はタブー? 悩む母親を「だったら産むな」と切り捨てないで

LIMO / 2020年3月18日 10時45分

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「産んで後悔している」はタブー? 悩む母親を「だったら産むな」と切り捨てないで

母親になったことを後悔している26歳から73歳までの23人の女性の証言をまとめた『母になった後悔:社会政治的分析』(2015年刊、未邦訳)という研究書があります。

書籍自体は邦訳されてはいませんが、今年の初めに本書の著者であるイスラエルの社会学者オルナ・ドーナトさんにインタビューした記事が海外メディアに掲載。その邦訳記事(https://courrier.jp/news/archives/187429/?ate_cookie=1584060951)がクーリエ・ジャポンに掲載され、また翻訳者の相川千尋さんがツイッターに投稿(https://twitter.com/Chichisoze/status/1216158070180474882)するや否や、共感の声が相次ぎました。

子どもを産んだことを、そして母親になったことを後悔している。きっと、そんなことを公言したら「なんて母親だ!」とバッシングの嵐が起きるかもしれません。しかし、しかし、その感情を 「臭いものにフタをする」 かのように否定して、ないものにすることのほうが筆者は危険なことだと感じます。

「よかった、私は自分の子どもをかわいいと思えている」

2018年に第一子を出産した筆者。夫が激務のためにワンオペ育児中ですが、保育園の力も借りながらなんとか仕事と子育てを並行してやっています。

目が離せなくなってきた1歳半過ぎという月齢に入った今、子どもと一緒に過ごすなかでふと抱く感情があります。それは、「よかった、私は自分の子どもをかわいいと思えている。子どもを産んでよかったと思えている」という安堵感。

それは“母性”のような美しい概念では決してないものです。予習をしていない授業で運よく先生から指名されず、「ほっ」と肩を撫でおろす感覚にも近いかもしれません。ラッキーなことに子どもを可愛いと思える状況にいるのは、「母性が出てきたから」とか「母親として当然だから」とかではなく、運にも似たようなものだと思うからです。

そして同時に、「子どもを産まなければよかった」と感じる状況に陥っていた可能性も決してゼロではないことも身に染みて感じます。また、もう少し子どもが大きくなったら、もしかしたらこの曖昧な境界線のあっちに行ったりこっちに来たりを繰り返すことになるかもしれないとも考えています。

それくらい、「母親になったことを後悔してしまう」のは誰しもがなり得る状況だと言えるのではないでしょうか。

「だったら産むな」の言葉が意味するもの

ルポライターの杉山春さんによる『ルポ 虐待 ――大阪二児置き去り死事件(https://www.amazon.co.jp/gp/product/4480067353/ref=as_li_qf_asin_il_tl?ie=UTF8&tag=navipla-22&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=4480067353&linkId=86d510804748ebcc0e15109eb24ada84)』という書籍があります。2010年に、大阪市内のマンションで3歳女児と1歳9カ月男児が母親の育児放棄によって餓死した事件の経緯について、母親の人生や幼児虐待のメカニズムを分析した1冊です。

逮捕された母親はシングルマザーで、保育園に預けながら夜の仕事で家族3人分の生活費を稼いでいましたが、子どもの体調で仕事に行けなくなるなど、さまざまなことがうまくいかない状況に陥ったそうです。実家とは疎遠で、元夫は養育費を払っていませんでした。

離婚前は子育てサークルに参加したり育児仲間を家に呼んだりと、育児に真面目に取り組む母親でしたが、離婚後しばらくすると糸がプツンと切れたかのように育児放棄が始まったと同書は書き伝えています。

「だったら産むな」――。虐待死事件が報道されるたびに、たくさん聞かれる言葉です。

場合によっては親が「子育てが辛い」と悩みを吐露しただけでも、鬼の首を取ったかのようにこの言葉を投げつける人もいます。筆者は「だったら産むな」という正論や「母親なら子どもを産んだことを後悔してはいけない」といった考えの先にこそ、こうした事件があるような気がしてなりません。

子どもを産むことで、母親は体調や精神状態、生活、働き方が大きく変わります。そして、さまざまな我慢が自然発生し、世間からは「母親なのに」「母親なんだから」と、自分という個人の存在よりも母という属性を優先されがちになります。

実際、子どもが欲しくて相当な覚悟を決めて無事に産んだとしても、産んでみたら想定以上の辛さが待ち構えています。また子育ての向き不向きも、本当に当事者になってみないとわからないものです。

「だったら産むな」は、必死にもがきながら子育てという大役をこなすギリギリの状態にいる母親の心を”正気”につなぎとめている細い糸を、簡単に断ち切る呪いの言葉であると、子育てしているからこそ強く感じてしまうのです。

苦しんでいる親のためのセーフティネットを

子育てを巡る社会状況は、前時代と比べて変化していることもあれば、旧態依然なままであったり、逆に後退しているように思えることも少なくない現代。

ただ確実に言えることは、「産んだことを後悔している」と子どもに伝えることは絶対にしてはいけないということ。自分の存在価値を失い、「自分は生まれてこなければよかったんだ」と子どもに思わせてしまうのは、心の虐待です。

しかし、「親なのに産んだことを後悔してはいけない」「そんなことを誰かに相談してはいけない」とタブー視することで、精神的に追い詰められる母親が少なからずいます。母親だけでなく、父親にもそうした人はいるかもしれません。筆者だって、いつ、そういう状況になってもおかしくはないでしょう。

そうした親のために、行政や民間による具体的な支援策やセーフティネットなどの選択肢が広がると同時に、「だったら産むな」と一刀両断するような社会の空気も少しずつ変わってほしいと強く感じます。

「困ったら助けてくれる人がいる。周りの温かい目があるから子育てを頑張ろう」と思える社会にしていくこと、そして今まさに苦しんでいる母親が少しでも救われることが、結果として自分の子どもだけでなく次世代全体への責務を果たすことになるのではないでしょうか。

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