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学校教育がオンラインへ移行するメリットとデメリット

LIMO / 2020年4月18日 12時30分

学校教育がオンラインへ移行するメリットとデメリット

学校教育がオンラインへ移行するメリットとデメリット

4月、新しいスタートとなるこの時期に、緊急事態宣言が発令されました。外出が禁じられた子供たちは、行き場なく、ただ家にいるしかありません。以前より遠隔教育の推進に向けて議論されていますが、公立の義務教育の現場では、まだ普及するに至っていません。

オンライン学習を推進の政府vs.文科省

2018年の資料を見ると、内閣府「規制改革推進会議」(https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/suishin/meeting/discussion/190311/gijiroku0311.pdf)では、スタディログ、学習履歴の事例が出るなど、教育の質を向上させる手法だという認識での取り組みを提案しています。

一方で、文部科学省側は、従来の教育の補完という発想から脱却できずにいるように思います。

遠隔教育の必要性は、小規模校等における教育活動の充実や、外部人材の活用や幅広い科目の開設などにおいて、重要な意義があるとしています。

また、不登校児童生徒や病気療養児など、通学して教育を受けることが困難な児童生徒にとって、学習機会の確保の観点から重要だとしています。

オンライン推進派と現状維持派の違いとは

オンラインによる学習のメリット、デメリットを考えるには、まず、「推進派」と「現状維持派」の認識の違いを克服してゆかなければいけません。

「推進派」は、学校での授業を「知識の習得の場」と考えていますが、現状維持派は、学校を知識習得だけでなく、「人格形成の場」だと位置づけています。

「現状維持派」は、人格形成をその人の性格や一般的な道徳観として捉えています。一方で、推進派にしてみれば、それは親がすることだとなってしまいます。

しかし、人間の人生とは、「他と異なる存在である証を模索して終えるものだ」と考えるのであれば、特定の社会の中で生まれ、育つことを意識することが、個の存在意義を深めることに役立ちます。

たとえば、その地域で作られた味噌で作るお母さんの味噌汁を味わうことが文化であり、そのうまい味噌汁を受け継ぎたいと意識することが伝統を作り出しています。

核家族化にともない、地域、社会が放れてゆくとしても、その地域、家族の中で意識されているものがある限り、伝統は残り続けます。

以前、テレビ番組で「鯉を食べない町」が紹介されていました。

栃木県小山市高椅地区では、「水不足に苦しみ神社に井戸を掘ったところ、水と共に大きな鯉が出てきたので、それ以来、人々は鯉をあがめるようになった」という言い伝えがあります。そのため、町では、鯉を食べません。鯉のぼりもあげません。鯉の柄の入った着物も着ないし、鯉の模様のお皿も使わないそうです。

鯉を崇めるという行為は、性格になんの関係もありませんが、その人がそこで生まれたという大切な証です。地域社会や親ができなくなった代わりとして、本来、学校が担うべき人格形成は、その国、その地域での文化伝統を意識して、受け継いでゆくことではないでしょうか。

日本人として、「日本人らしさ」を意識することが、個々の人格を作る重要な支えになってゆきます。

知識の習得だけでいいなら現状の学校は不要

社会が進化してゆくために必要な知識を習得するだけなら、オンライン学習にデメリットなどないように感じます。

発達の過程には個人差があります。小学校のころ、動作や反応がのろくて、同級生に馬鹿にされていた人がクラスにいたという記憶の方もいるのではないでしょうか。

しかし、時間がたち高校になって偶然に出会うと、まったくの別人になっているなんてことはよくあります。身長差は、目に見えるその典型でしょう。

1人の先生が何十人もの生徒を相手にして、同じ内容の授業を行うのですから、当然、発達の違いによって、差が出てしまいます。このことは、発達が進んでいる子供の学習機会を奪い、遅れている子供を委縮させています。先生の能力差によって生じる、授業の不公平感もなくなります。

オンライン学習であれば、個々の発達の過程に合わせて、先生と相談しながら、自分に合った授業を選択することができます。オンライン学習であっても、自宅学習である必要はありません。共働きで学校がないと困るというのであれば、毎日、教室でオンライン授業をすればいいだけです。

現状のまま、人格形成を個人の性格と位置付けて「日本人とはどういう人たちなのか」という発想へ向かわないなら、いずれ義務教育の存在価値はなくなってゆくでしょう。

学校でのいじめがより深刻になるのは、学校が地域社会と隔離されているケースだと言われています。親が先生に対して、子供が虐められているみたいだと相談しても、虐めなどありませんと遮断されてしまうような状況では、いじめがエスカレートしてゆきます。

地域、社会の文化・伝統の中心となって、誰もが懐かしく思う学校を作ってゆくことこそ、義務教育としての学校の存在意義なのではないでしょうか。

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