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「コロナで村八分」になる田舎は怖い!? 都会と何が違うのか

LIMO / 2020年7月25日 8時0分

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「コロナで村八分」になる田舎は怖い!? 都会と何が違うのか

田舎はよそ者に冷たいとか、噂話がすぐ広まるという話を一度は耳にしたことがあるはずです。こうした息苦しさは昔のことと思いきや、「実は今でも変わっていないのでは?」と思わせる話が、今回のコロナ禍でたびたびSNSなどを介して広まっています。

「コロナになったことで村八分状態」「夜逃げ同然で家を出たらしい」という噂の真偽のほどは不明ですが、なぜ田舎は都市で生活している人の感覚が通用しないのでしょうか。今回は、母方の実家がひなびた農村地域にある筆者が、泊まるたびに不思議に感じていた田舎にまつわるエピソードを紹介します。

本名でなく通り名で呼び合う田舎の人たち

まずは、田舎にはよくあって街中ではほぼ聞かない、人の呼び方の話をしていきましょう。県庁所在地の街中で育った筆者の父にはなく、育ちも生まれも田舎の母が持つ癖があります。それは、兄弟姉妹や親戚をあだ名のような通り名で呼ぶことです。

幼少期から母は自分の兄弟姉妹や親戚の本名をほぼ口にしたことがありません。たとえば伯母に関して言うと、筆者が物心がついた頃からずっと「タケダの幸ちゃん」と呼んでいます。

タケダが苗字だと信じて疑わなかったのですが、それが事実ではないことに気がついたのは小学3年生のお正月でした。届いた年賀状を見ると、見覚えのない差出人夫妻の名が書いてあったのです。「この丸山さんて誰?」と母に尋ねると、「幸ちゃんよ。タケダの」と当たり前でしょと言いたげな表情を浮かべながら答えました。

混乱した筆者は持っていた年賀状を詳しく分類していきました。知らない苗字の人を選り分けて母に確認していくと、仕事関係者を除くとその全てが母方の親戚筋であることが判明したのです。

「どうしてあだ名みたいに呼ぶの?」と子供ながらに素朴な疑問をぶつけてみましたが、「昔からそうなの」と素っ気なく返されてしまいました。その年の夏、祖母の家に泊まった時に地域の人々がしている会話をよく聞いてみると、案の定その集落でだけ通用する言い方で家や人々を呼んでいたのです。

ちなみにタケダは竹林と田んぼの間を意味し、カミサンは集落の神社を代々守っている家の通り名として使われていました。両家ともにまったく通り名とは似ても似つかない本当の苗字を持っています。

悪い噂話は100年以上経っても言い伝えられる

今回のコロナ禍で、たびたびインターネット上で指摘されている「田舎でコロナになったら世代を超えて言い伝えられる」という話は、あながち嘘ではないと思います。

筆者の母は「誰々さんの何世代か前の四男坊は博打で借金をして村から追い出された」という話を小さい頃からよく口にしていました。もちろん、そんな話を子供からせがむわけがありません。何の前触れもなく突然話し始めるのです。

中学生の頃にまた聞かされた際、「その何世代前というのは大正時代、まさか明治時代じゃないよね」と冗談半分で聞いてみました。すると、母の口からは予想を超える衝撃的な言葉が出たのです。

「江戸時代の話。宿場町まで行って遊び惚けて家のお金を全部つぎ込んでしまい、村の人からお金を借りて最後は追い出されたのよ」と自分の目で見たことのようにスラスラ話してくれました。

こうした伝承は洪水や土砂災害、津波や地震といった天災に関わるものならば地域住民を救う大切なものです。しかし、母から聞かされたのは昔のゴシップネタ。この他にも近くにある峠は筆者の祖母が嫁に来た頃は山賊が出ていたなど、時代劇のような話を幼少期からずっと聞かされて育ちました。

田舎と街を行き来した経験を持つ筆者が、都会育ちで祖父母の家も都会という夫にこうした話をしたところ、とても驚かれたものです。田舎は都会のように住民が入れ代わり立ち代わりする場所ではありません。新陳代謝がほぼ行われないことで、一度でも悪いことをするとずっとその土地で伝承されていく恐ろしさを、子供ながらに感じていました。

近隣集落に大勢の親戚が住む”濃い”世界

田舎には”濃い”コミュニティが成り立っています。そのため噂話が瞬く間に広まり根付く印象がありますが、なぜなのでしょうか。たしかに、人の入れ代わりがほぼないため、先ほどのような大昔の悪い噂話が脈々と受け継がれてちまう風土があります。

しかし、幼少期から田舎を垣間見ている筆者からすると、都会とは違う人間関係が影響していると思います。田舎の場合、集落に親戚が複数住んでいたりするケースは珍しくありません。同じ地区でなくても、隣接する集落に親戚が多数存在することはよくあります。

筆者の母の場合、峠を越えたところにある集落に祖母の生家があったり、兄嫁は江戸時代からある街道を越えた町からやって来るなど、半径5キロメートル以内に親戚筋の人々の多くが住んでいました。そしてそれが当たり前のように受け止められているのです。

身内が近くに住んでいると、コミュニティががっちり固められてしまい、他の人が入る隙がなくなります。よそ者に冷たいと指摘されるのは、単に集落の絆が固いからだけではなく、親戚縁者の集まりなため血縁関係のない外部を受け入れるのに抵抗があるのです。

一方、筆者の父の親戚は、同じ自治体に住んでいたり他県に住んでいたり様々です。結婚相手が親戚縁者の知人という人は皆無で、付き合いも非常にドライ。子供時代に筆者が住んでいた街と母の実家は車にして1時間もかかりませんでしたが、距離以上に考え方が遠く離れているのを幼心に感じていました。

都会育ちが田舎の独特な世界観を理解するのは難しい

自分の実家や祖父母の家を「田舎」と言う人は少なくありません。しかし、田畑や山に囲まれている意味での田舎を指すとは限らず、さらに人口流出が続く中では田舎特有の世界に触れる機会のない人が増えています。

コロナ禍で田舎の恐ろしい面ばかりが話題になりますし、街に比べれば閉鎖的な社会です。しかし、帰り際にジャガイモや大根、栗などを渡される人情味あふれる良さや、災害時に地域一丸となって立ち向かう良い面もあります。田舎批判に終始するのではなく、独特なコミュニティを形成していることを理解する必要もあるのではないでしょうか。

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