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「終身雇用はネズミ講」か。日本人が空気は読めても本質を見失ったワケ

LIMO / 2021年3月7日 18時55分

「終身雇用はネズミ講」か。日本人が空気は読めても本質を見失ったワケ

「終身雇用はネズミ講」か。日本人が空気は読めても本質を見失ったワケ

森喜朗氏の女性蔑視発言で起きた東京五輪の迷走。昨年からの一連のコロナ禍対応への疑問…。2021年は、色々な問題が浮かび上がってくる年になる気がします。最近は「もはや日本は先進国ではない」という論調も徐々に表れている印象があります。

それは、ちょっとまだ気が早いとも思うのですが、立ち止まって考えることが必要な時期なのかもしれません。今回のテーマは「空気は読めるけど本質が見えない日本人」。できる限り、本質的に考えてみたいと思います。

終身雇用の本質は「賃金の後払いシステム」

一例として日本の終身雇用&年功序列を考えてみます。経団連も「もう終身雇用はムリだ」と発言していますし、制度としてはもはや「絶滅危惧種」なのかもしれませんね。思えば、終身雇用、年功序列、そして企業別組合が、日本の高度成長を支えた経営の三種の神器と呼ばれていたものです。

では、終身雇用&年功序列の本質とは何だったのでしょうか。これは、ズバリ「賃金の一部・後払いシステム」だと思います。

若い時はともかく、低賃金でも我慢に我慢を重ねる。年齢を重ねれば、会社で我慢をしていれば、地位も賃金も上がって必ず報われる。これは、現在40代後半以上の方々なら、子供の時から肌感覚で刷り込まれていると思います。自分も含めて、昭和に育った子供たちは、そんな圧のなかで成長してきたのです。

終身雇用&年功序列はネズミ講?

終身雇用&年功序列が成立するマクロな条件を考えてみます。

まず人口構成として、給与の比較的高い中高年層の比率が低いこと。そして経済が成長期でインフレ基調であること。考えてみれば、今の時代とは真逆です。つまり、終身雇用&年功序列は、ある条件が続けば永遠に回るネズミ講みたいなものだったのかもしれません。

インフレ基調のなかで支払いを数十年後にするわけですから、オイシイ話ですよね。終身雇用&年功序列が、高度成長のエンジンだったわけです。さらに、企業にとって優秀な人材を抱え込む優れたシステムでもありました。

別に、それ自体に文句を言っているわけではないのです。働く側も、ある種、納得していたわけですから。ただ問題は、いまは大分少なくなりましたが、「終身雇用は日本企業の美徳だ」と発言をする経営層の人たち。それは違うでしょう。美徳だけの問題ではなく、経営的な利点や国際競争力の源泉という側面もあったはずです。

どこかで、日本では話が本質と乖離(かいり)してしまうのです。そして本質を見失うので解が出せない。もう一例あげます。「なぜ日本は高度成長できたのか」その答えが「日本人が頑張ったから」。小学生の回答みたいですよね。

高度成長を「企業の上場」に置き換えてみます。頑張った企業が全部、上場できますか。そんなこと言ったら、日本のほとんどの企業は上場してますよね。「上場」も「高度成長」も“頑張った"以外にも理由があるんですよ、普通は。

状況が複雑すぎて身動きがとれない

日本は本質のすり替えばかりしています。当たり前のことが、なぜか言えず、やがて本質を見失ってしまう。その背景のひとつが、やはりカルチャーとしての「空気を読む」と「忖度」でしょうか。さらに今年になって「わきまえる」もエントリーしましたね。

しかし背景には「複雑な構造」があります。いわゆる“大人の事情"です。事例として少し前にあった、大手広告代理店の若い女性社員の過労死問題をとりあげます。これは、自分も同じ業界出身のため、かなりウォッチしていました。

あの痛ましい事件の後、その代理店OBの多くの方々が、ブログなどで意見を言っておられました。そのなかで、かなりあったのが「問題はあるが、クライアントの要望を断れない」という声。これは分かるんですよね。変えようとしても、まわりの状況が許さない。

ただ、この問題を深堀りすると、やはり価格の問題があるのだと思います。多くの業界と同じで、広告業界も現在は苛烈な価格競争があります。本来、大手代理店の高価格は「総合力」「提案力の差」などに準拠していたはずですが、価格防衛上、どこかで「どんなムリでも聞く」「過剰サービス」といった要素が紛れ込んでいたのではないか。

そして高価格のあくまで一要因ですが、そこには高賃金体質も影響しています。ここから冒頭の終身雇用&年功序列の話にループするわけです。

優秀な女性に期待するしかない?

なんだか絶望的な話になってきました。ここは無責任に、優秀な女性たちに期待したいと思います。実は、先日の森氏発言の関連ニュースで、多くの優秀な女性が「クォーター制(ポスト等を男女一定割合にする)」に違和感を感じると発言していて驚きました。

彼女達の気持ちは「ゲタを履かされている気がする。能力評価されていない」というもの。つまり、そこまで優秀な女性たちは自分たちをストイックに追い詰めている。男性が勝てるわけがない。そして私たち多くの男性は鈍いですから、この点に気付いていません。おっと、これは性差別発言ですかね。

背景としては、男性・高下駄の暗黒史があります。たとえば、以前の一部マスコミ入社試験の学科試験上位7割は女性、実際の採用の7割は男性というケースもありました。

最近、あるプロジェクトで優秀な女性たちと仕事をしました。色々と話すと「アノ人たち(偉い人の意)に言ってもムダ」という感覚がかなりある。そしてこの感情を分析すると、もはや諦念とか絶望とかのエモい系ではなく、もっとクールな、たとえば工数削減とかストレス防止とか…。事態はそこまで進行しているわけです。

この日本中の「言ってもムダ」の総和が、本質を隠しているのだと思います。処方箋は、やはり冒頭のネズミ講の解消でしょうか。女性の社会進出も進みますし。ただし民間のネズミ講問題でも、社会的な大問題である以上、国が関与すべきだ、とは付記しておきます。

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