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阪神・淡路大震災から23年、焼け落ちた新長田の商店街の現在と今後

LIMO / 2018年1月26日 12時15分

阪神・淡路大震災から23年、焼け落ちた新長田の商店街の現在と今後

阪神・淡路大震災から23年、焼け落ちた新長田の商店街の現在と今後

2019年に合同庁舎が完成予定

阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた神戸市長田区。新長田駅周辺は再開発の結果、巨大ビルが立ち並ぶ街となりましたが、商店街の店舗には空きが目立ちます。

兵庫県および神戸市は2019年に行政機能の一部を新長田駅南地区に移転し、街の活性化を図る計画です。人口減の進む長田区での行政の思い切った試みは、新長田の商店街の風景を大きく変えることになるのでしょうか?

阪神・淡路大震災で焼け落ちた神戸市長田区

1995年に発生した阪神・淡路大震災では、炎に包まれる神戸市の姿が強く印象に残っていますが、最も火災被害を受けたのが長田区です。

長田区内の家屋の全半焼は、神戸市内の全半焼の約6割に相当する4,772棟・約30ヘクタールにも及びました。木造建物が密集していた長田区は「震災で焼け落ちた」とも言われる被害を出すことになりました。

大きな被害を受けた地区の一つ、新長田駅南地区は、震災以前から「神戸市基本計画(マスタープラン)」において西部副都心と位置付けられていました。ここで震災後、行政は強力に再開発を推し進めます。

しかし下町の雰囲気が強かった地区に震災後に現れた巨大な再開発のビル群は、その後の日本の経済悪化や割高な賃料の問題などもあり空室が目立つまま、現在に至っています。

※出所:神戸市長田区:長田区ってこんなまち(http://www.city.kobe.lg.jp/ward/kuyakusho/nagata/jyouhou/)

今も空き店舗が目立つが2014年に病院が移転オープンし変化の芽も

筆者は2018年1月に新長田を訪れました。駅前の商店街の活気はまだあるものの、大通りを渡ったところにある商店街にはシャッターを閉じた店舗が多くありました。

とはいえ、新長田の商店街には変化の芽も見えてきています。2014年、再開発の更地に野瀬病院が移転しオープン。病院関係の施設も付近に開設され、病院関係者の姿が街中に見られるようになりました。

震災前の新長田駅周辺の賑わいからはまだ程遠い状況ですが、数年ぶりに立ち寄ったそばめしの店(長田はそばめし発祥の地と言われています)は、以前に比べるとお客さんの数が確実に増えており、わずかではありますが変化の兆しを感じることができました。

2019年に兵庫県と神戸市の合同庁舎がオープン

再開発を推し進めた一方で、施設の入居率の悪さや街の賑わいが戻らない現状に頭を悩ませる行政側は、ついに行政の一部機能を長田区に移すことを決断。現在、兵庫県および神戸市の行政機能を担う合同庁舎を新長田駅南地区、野瀬病院の隣の敷地に建設中で、2019年6月に完成予定です。

この合同庁舎では約1,000人の県・市職員が勤務することになるほか、年間約30万人の来庁者も見込まれており、街の活性化が期待されています。「行政の力技」とも言うべき行政機関の移転ですが、これにより新長田の商店街は2019年以降、新しい姿を見せる可能性が高いと言えるのではないでしょうか。

建設が始まっている合同庁舎(筆者撮影)

一足先に人口減を迎えている長田区、日本の都市の将来図となる可能性も

神戸市は大都市の中では一足先に人口減が始まっています。特に長田区は震災以前より人口減が始まっており、平成元年には約14万人を誇った人口も、平成28年には9.7万人にまで減少している状況です。

少子高齢化で人口減が続く日本の各都市は空き家、シャッター通りなど利用されない施設の問題を抱えており、震災後の復興期に巨大な再開発が行われた長田区は極端な例ではありますが、日本の都市の将来の縮図となる可能性すらあります。

役所の一部移転、との思い切った手を打った神戸市および兵庫県の活性策が成果を上げることになるのか、今後の新長田の商店街の行方は、震災からの復興そして日本の将来の都市の姿を占う上でも注目されます。

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