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太平洋戦争後、最後の集団引き揚げが終了【1961(昭和36)年6月27日】

トウシル / 2021年6月27日 5時0分

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太平洋戦争後、最後の集団引き揚げが終了【1961(昭和36)年6月27日】

1961(昭和36)年6月27日

太平洋戦争後、最後の集団引き揚げが終了

 

 1961(昭和36)年6月27日、北ベトナムからの集団引き揚げ船「上海丸」が福岡県の門司港へ入港し、最後の集団引き揚げが終了しました。

 1945年に太平洋戦争が終結し、日本はポツダム宣言を受諾。その第9項に「日本国軍隊は、完全に武装を解除した後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的生活を営むべし」とありました。民間人については、「日本国の主権は、本州、北海道、九州、四国並びに諸小島に局限すべし」との条項をもとに、終戦時に海外に在留していた軍人、民間人あわせて660万人の日本本土への引き揚げが始まったのです。

 人類史上最大の集団移動と言われた集団引き揚げは、1961年で終了となりました。しかし、中国、ソ連、韓国等になお残留していた日本人は、相手国の許可を得なければ帰国が叶わず、それ以降の引き揚げを「個別引き揚げ」と呼んでいます。公式記録では個別引き揚げは1976(昭和51)年まで続き、最初の引き揚げから30年も継続したことになります。

 引き揚げに際しては、民間人への攻撃や子供の人身売買などが頻発しました。引き揚げ船の中には残留機雷で爆沈した船もあり、また引き揚げ者の約10%はなんらかの伝染病、性病に罹患していたと記録されており、筆舌に尽くしがたい苦難があったといわれています。

 さらにシベリア抑留でついに帰国が叶わなかったり、命を落としたりした人は、記録で確認できる範囲で少なくとも24万人以上と言われています。

 その一方で、無事に帰国できるように引き揚げ船までの道中を保護してくれた現地住民がいたこと、台湾や南洋諸島で引き揚げに際して別れの宴を開いてくれたことなど、心の和む話も残されているのが救いとなっています。

 

1961年6月27 日の日経平均株価終値は

1,727円16銭

ライター FIX JAPAN 前沢ともあき

 

(トウシル編集チーム)

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