年金は豊かさではなく、防貧のため。みんなで経済と賃金の成長を考えよう
トウシル / 2019年9月20日 17時9分
年金は豊かさではなく、防貧のため。みんなで経済と賃金の成長を考えよう
老後2,000万円問題や財政検証については、これまでにもトウシルから複数の記事がリリースされています。改めて、年金制度の基本を確認するとともに、財政検証の前提や今後の課題について考察します。
年金の基本を確認してみよう。「防貧」のための制度
老後の生活には年金だけでは2,000万円が不足すると取り沙汰されたことで、年金制度が注目を集めました。望ましい年金制度は、「高齢者への給付を十分に行う」ことと、「(給付の多寡はともかく)年金制度を維持する」という2つの目標がありますが、両方を同時に満たすことは簡単ではありません。
年金給付を手厚くするには現役世代の負担を増やす必要がありますが、現役世代の生活を圧迫するほど負担が重くなると、年金制度への不満が高まり、制度が維持できなくなります。
逆に、年金制度を維持するために支給額を減らし過ぎると、高齢者が貧困に陥らないよう予防的に備えるという「防貧制度」としての年金の意義が薄れます。
日本の年金制度を簡単にまとめると、現役世代の負担に上限を設けることで制度を持続させ、防貧の目安として所得代替率50%以上の給付を維持することを目標にしていると言えます。
年金財政の収支を改善するには、保険料の収入を増やすか、支出を減らすために、年金支給額を減らす、あるいは、年金支給開始年齢を遅らせることになります。
「積立方式」の場合も基本的な構造は変わらず、現役時代に自由に使えるお金を減らして多く積み立てて年金の原資を増やすか、高齢になってから毎月の取り崩す額を減らすか、あるいは、取り崩し始める時期を遅くすることで年金が枯渇しないよう節約することになります。
積立方式は一見、自己責任で納得できそうですが、将来のインフレリスクや長生きリスクを見越して必要額を積み立てることは難しいので、将来の経済状況に応じて、そのときの現役世代にお世話になる「賦課方式」の方が安心できます。
財政検証の暗黙の大前提は「賃金の増加」。だけど・・・
高齢者が増加していく下で一人当たりの年金支給額を維持するには、保険料収入の増加が欠かせません。厚生年金保険料額は賃金に比例した等級になっているので(保険料率18.3%)、一人当たりの賃金が増えれば、年金財政の収入が増えます。
高齢者の生活水準を維持するには、年金支給額を物価上昇率に応じて増やす必要があるので、望ましい年金制度を維持するには、名目賃金が増加するだけではなく、実質賃金の増加が必須です。
財政検証では6つのケースで試算していますが、どのケースも単年度で見ても実質賃金の増加を前提としているのはそうした事情からでしょう。
▼財政検証における2028年までの経済前提
▼財政検証における2029年以降の経済前提
実際の賃金の変動率は、財政検証と違う
ところが、実績値を確認すると、2005年度以降の15年間で年金改定額に用いられる賃金変動率(名目手取り賃金変動率)が物価変動率を上回ったのは2005年度だけです。それ以降14年連続で賃金変動率が物価変動率を下回っており、財政検証の前提とは大きく異なっています。
▼年金支給額の改定に用いられる物価変動率と賃金変動率の推移
年金額の改定率は、65歳以上の年金受給権者(既裁定者)の場合、物価変動率を基準にマクロ経済スライドによるスライド調整をするのですが、賃金変動率が物価変動率を下回った場合(物価変動率>賃金変動率>0の場合)は、賃金変動率を基準とするルールとなっています。
賃金が伸びないと、年金額は増やせない
2019年度の年金額改定に用いられた物価変動率は1.0%、賃金変動率0.6%でした。賃金変動率が物価変動率よりも低かったので、既裁定者の年金受給額の改定率は、賃金変動率0.6%からマクロ経済スライドによるスライド調整率(▲0.2%)と前年度までのマクロ経済スライドの未調整分(▲0.3%)が反映されて、改定率は0.1%になりました。
賃金変動率が1.0%を上回っていれば、改定率は物価変動率を基準にして0.5%(1.0%-0.2%-0.3%)だったので、実際の値と比較して0.4%の差が生じたことになります。賦課方式はインフレ耐性があるとはいえ、賃金が伸びないことには、年金制度を維持するために年金額は低く抑えられてしまいます。
長期で考えた場合、賃金変動率が物価変動率を下回り続けることは考えにくいのですが(さもないと、実質所得が減ってどんどん貧しくなります)、様々な理由から今後も実質賃金が減少する局面はありそうです。
テクニカルな理由としては、賃金変動率の算定方法の問題があります。賃金変動率は標準報酬の平均額を基に算定されています。最上位等級の報酬月額60万5,000円を超えている人の賃金がどれだけ増えても、算定上の標準報酬は変わらないため、賃金変動率は上昇しません。
極端な例ですが、高給取りの給料ばかりが増えて、他の人の給料が増えない場合、企業が支払う給料の総額は増えても、年金額の改定に用いられる賃金は増加しないという事態が生じます。
また、働き方の多様化で副業・複業が注目されていますが、副収入が標準報酬に算定されないことで、賃金変動率が抑制される可能性があります。例えば、1,000万円の給料がある場合と、700万円の給料と副業で400万円の収入がある場合では、後者の方が年収は多いのに標準報酬は低くなります。
こうした問題への対応はまだ本格化していませんが、厚生年金保険料の改定や税務データの利用など実現には時間がかかるため、早めに取り組むべきだと思います。
企業は儲かっているのに、賃金が増えないのはなぜ?
より本質的な問題としては、そもそも賃金が伸びないことです。2012年11月を底にして始まった今回の景気回復局面では、企業収益の増加に比べて賃金の増加が伸び悩んでいることが指摘されてきました。
様々な説が唱えられていますが、終身雇用・年功序列の雇用慣行では、長く勤めるほど賃金が上がり、退職金も増えるので、賃金に多少の不満があっても会社の存続を優先させた方が合理的です。次の景気後退に備えて、従業員・組合側が賃上げ要求に慎重になったとする説です。業績が良くても、労働分配率が低下すれば、賃金は伸び悩みます。
内部留保の積み上がりは企業の慎重なスタンスを反映しているとも考えられます。設備投資を抑えると、労働者一人当たりの資本装備率が増加しないので、労働生産性は伸び悩みます。研究開発投資を抑制すると、技術進歩が起こらずTFP(全要素生産性)が伸びません。
TFP上昇率の推移を見ると、すう勢的に鈍化しているようで気がかりです。TFPは労働者の質(生産性)が上がることでも上昇しますが、企業は従業員の研修費用を抑えていますし、非正規労働者は十分なOJTを受ける機会が少ないので、財政検証のケースⅠ~Ⅲ(成長実現ケース)が仮定するTFP上昇率1.3~0.9%を達成するには、社会人への教育投資の後押しが必要でしょう。
老後の生活に必要なものを手に入れるには経済成長が必要
年金制度は、お金ではなく財・サービスに着目すると、老後の生活に必要な食料や衣服、住居、医療などの消費を補助する制度という解釈ができます。老後の生活に必要な財・サービスは何かというのは難しい問題で、実際に何がどのぐらい必要かはその人次第という雰囲気があります(年金2,000万円問題の数字の多寡を巡る議論がまさにそうです)。
政策を考える上では心許ないですが、統計上の制約が大きいためやむを得ないという事情があります。
例えば、世帯の収入・支出、貯蓄・負債を毎月調査する家計調査は、病院や療養所などに入院している世帯は調査対象ではありません。そのため、調査に協力している高齢者は、比較的健康な方に偏っていますので、老後いくら必要か計算するには、入院費用や介護施設費用などを別途、勘案する必要があります。
また、年金額の改定には消費者物価指数が用いられますが、現役世代を含めた平均的な世帯と高齢者世帯とでは支出する財・サービスのウエイトが異なるので、消費者物価指数を用いると年金額が過大あるいは過少になる可能性があります。
一例ですが、教育費が下がっても(あるいは制度により無償化されても)、子供の教育を終えた高齢者世帯には恩恵がないうえ、消費者物価指数が押し下げられることで、年金額の伸びが抑制されることになります。
高齢者世帯に必要な財・サービスを測定し、その物価変動を計算するためには、高齢者世帯を対象にした消費者物価指数を作成すれば良いのですが、予算・人材不足の中、既存統計の立て直しに追われているのが統計部署の現状なので、当分の間は専門家の研究課題に留まりそうです。
世界で進む高齢化。輸入に頼る食と医療、日本は大丈夫?
高齢化は日本だけではなく、世界の多くの国々で進行しているので、高齢者世帯に必要な財・サービスは海外の影響を受けることになるかもしれません。国連のレポートによると、2017年に世界全体で6.5億人だった65歳以上人口は2030年には10億人に迫る見込みです。
中国の高齢化はハイペースで進み、65歳以上人口は約1億人増加、高齢化率(全年齢人口に占める65歳以上人口の割合)は6.5%上昇します。
▼国際連合による人口の長期予測
世界人口の増加で環境破壊や食料危機を懸念する声があります。日本は食料を輸入に依存していますが、医薬品などの医療品も輸入が多く、2018年は輸出額6,120億円に対して輸入額2兆8369億円と輸入超過です。医療品の輸入額は増加を続けています。
▼医療品輸入額の推移
近年は貿易収支が赤字になる月も多いですが、食料や医療品、エネルギー資源などを輸入し続けるには、輸出で稼ぐか、海外が日本に資金を投資・融資する経済成長の期待があるか、そうでなければ、金融資産を取り崩していくことになります。
”Output is central”(財・サービスの生産が中心)とはLSE(ロンドンスクールオブエコノミクス)教授のニコラス・バー氏が提唱した概念です。年金制度を維持するためにも、生活に必要な財・サービスを手に入れるためにも、経済成長・GNP(国民総生産)の増加がカギになります。
(鈴木 卓実)
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