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投資家にとっての「期待」~日銀「期待に働きかける」金融政策の考察

トウシル / 2022年12月27日 11時0分

投資家にとっての「期待」~日銀「期待に働きかける」金融政策の考察

投資家にとっての「期待」~日銀「期待に働きかける」金融政策の考察

日常語の「期待」と経済用語の「期待」

 言葉によっては、そのニュアンスが文脈によって変化することがあるが、投資家にとって馴染みの深い「期待」という言葉もその一例だろう。

 日常使う言葉での「期待」や「期待する」は、将来に関して話者にとってポジティブな出来事を「希望する」意味で使われることが多いように思う。

「代表チームの活躍を期待する」(スポーツファン)、「我が党の政策に期待して下さい」(選挙演説の話者)、「子供が老後の面倒を見てくれることを期待しています」(子供の親)、といった具合だ。何れにしても、「将来起きて欲しいこと」に注意が向いている。

 ところが、経済学のテキストなどを見ると、期待という言葉に「起きて欲しいこと」のニュアンスが伴っていないことに戸惑いを覚えることがある。

「需要に対する生産者の期待形成」、「物価への期待の消費行動への影響」、「中央銀行の政策に対する期待が金利に影響を与える」、といった文章で「期待」は、話者の希望は脇に置いた「(中立な)予想」の意味で読まないと正確に意味を取ることが出来ない。生産者が需要が旺盛であることを望むだろうとか、消費者が物価の下落を望むだろうとか、中央銀行が誰かの何らかのリクエストに応えるか否かといった読み方をすると、文脈上の不整合に陥るだろう。

 日常語の「期待」に慣れている人は、経済の、特に経済学の文脈では「期待」を、「予想」あるいは「予期」などと意識的に読み替える必要がある。

 また、需要にせよ物価にせよ、期待の対象はしばしば一定ではなく数値としては大小の変動を伴う変数だ。この場合、一言で「期待」として言い表されるものは生産者の多くの想定の中心値だったり、消費者の平均的な予想であったりする。こうした「期待」の使い方を見ると、統計学の初歩で出てくる「期待値」という言葉が持っている「(加重平均された)平均値」に近いニュアンスで「期待」が使われている場合が少なくないことに気づく。

 経済の文脈で「期待」という言葉が出てきた場合、先ずは「予想」、次に何らかの「期待値」を指すのだとイメージするとスムーズに読める場合が多い。

 ただ、例えば投資の入門書のような、一方で日常的でもあり他方で経済の話に首を突っ込んだ文脈では、「株式のリターンは、無リスクの金利に5%〜6%を加えたくらいのものが期待出来ると言われています」という具合に、経済学風の「期待」について語りながら、ニュアンスとして読者の希望が叶う「期待」を忍び込ませるような、些か紛らわしい書き方をする場合がある(筆者の本にもあるかも知れない)。「期待」が名詞としてではなく、動詞として使われている時には注意が必要な場合があるように思われる。

 投資の文脈では、そこで使われている「期待」が何を指すのか、具体的にどのように求められるものなのかについて注意が必要な場合が多いと申し上げておく。

「期待リターン」はどう決まるのか

 投資家にとって、「期待」のつく言葉で最も馴染み深くて、同時に興味の対象でもあるのは「期待リターン」だろう。

「各資産クラスの期待リターンとリスク、相関関係のデータをもとにアセットアロケーション(資産配分)を求めることが出来る」という場合の「期待リターン」だ。この場合、例えば「国内株式」や「外国株式」といった資産クラスの期待リターンはどのように求められるのか。

 建前としては、「期待リターン=予想リターン」なのだから、例えば投資家が「今年の国内株式は十数パーセント後半の値上がりがありそうだし、配当を込みにすると20%くらいのリターンかな」と予想した場合、「20%」を期待リターンとすることで何の問題もない。但し、例えばアセットアロケーションであれば、その数字が、将来のリターン予測を起こり得る確率で加重平均した値として扱われるということだ。

 ここで、将来に関する多数のシナリオの生起確率と予測の値をデータとしてまとめて期待リターンとリスク(標準偏差)を求めるのが本来の考え方なのだが、それはなかなかに面倒だ。現実にはリスクに関して過去データから求めた値を使うケースが殆どだ。計算方法に多少の工夫を凝らす場合があるが、年金基金や運用会社などでも、リスクに関しては過去データから計算したものを使うことが多い。

 但し、この場合、「過去のデータから求めた値(多くは平均的な値)を将来の予想値として使っている」という自覚が必要だ。分析の条件によっては、過去のデータから求めたリスク値が不適切な場合もある。

 では、「期待リターン」の場合はどうか。

 結論を述べると、プロの運用の世界やアカデミックな研究の世界では、「過去のデータの平均は期待リターンとしては殆ど役に立たない」とされている。

 過去のリターンをそのまま期待リターンに用いて計算をするのは、たまたまテキストを見てアセットアロケーションのワークシートを作ってみた投資の初心者のような人くらいだ。

 過去のリターンの平均値が、将来のリターンの予測値として不適切であることは、例えば、現在のように長期的に金利が低下する局面があった後の債券の期待リターンを考えてみると明らかだろう。「長期に亘る過去のデータの平均値だから客観的な期待リターンだ」と言い張ってみても、現在投資可能な債券の利回りが大きく低下してしまっているのだから、予想値としての期待リターンとして使い物にならないことは明らかだ。「車の運転と一緒です。バックミラーではなくて、前を見て下さい」といった皮肉を言われておしまいだろう。

 では、将来を予測して、多くのあり得るケースの平均値を探ると考えると、期待リターンを決めることは俄然難しさを増す。

 では、「現実に」機関投資家などはどのように期待リターンを決めているのだろうか。

 遠慮を排してあけすけに言うと、周りの様子や定説を意識しながら、「少し」自分たちの意見を加えて、バランスを見ながら決めている、という姿が年金基金や運用会社の現実だ。

 思い切って要約すると、「プロが使う期待リターンは社会的に決まっている」と言い切っていいかも知れない。

 プロには、顧客がいて、ライバルがいる。顧客の希望に沿わなければならないし、ライバルに「大きく負けるわけにはいかない」。一方、期待リターンに関しては客観的な答えの求め方が確立されているわけではない。それでは、どうするか。

 期待リターンをライバル達が使う値の平均に寄せたり、期待リターンについて独自の数字を使う場合には計算方法にアレンジを加えたりして、「無難な(ライバルからの乖離が現実的な範囲の)アセットアロケーションの結果」を狙うプロセスの中で期待リターンが決まっているといった状況が現実だ。

 筆者は、例えば株式の期待リターンとして「無リスク資産の利回り+リスクプレミアムが5〜6%くらいが定説なので、やや慎重にリスクプレミアムを5%だとして運用計画を考えましょう」(リスクは過去データからの推定値を使う)というくらいの説明で本を書く場合が多いが、これは機関投資家と似たことを手の内を明かしながらやっていると言っていいだろう。

マクロ経済の中の「期待」

 さて、「将来の予想」というニュートラルな意味の「期待」なのだが、人は自分の持つ期待によって行動が変わる。例えば、物価が下がると期待すると人は「買い控え」の行動を選択するかも知れない。逆に、インフレになるとの期待を持つと「早く買う」行動を選択するだろう。そして、例えば、後者の行動は、その行動自体がインフレを促進する効果を持つなど将来に影響を与えることがある。

 特に、経済学的な思考の中では、人々が持つ「期待」が経済にどのように影響するかが注目される。例えば、同じ水準の金利であっても、将来物価が上昇すると期待される場合と、物価は上昇しないと期待される場合とでは、経済主体にとっての意味が異なる。

 こうした意味での「期待」が特に注目されたのが、2013年の黒田東彦総裁が就任して以降採用された(実質的には2012年の暮れには始まっていたが)大規模な金融緩和政策の下だった。この政策は、そのメニューの中に人々の「期待に対する働きかけ」を明確に組み入れていた。

日銀「期待に働きかける」金融政策

「日銀は、2%程度のインフレ率の実現を目指すので、そのインフレ率は実現するはずだから、そうした期待(=予想)の下に行動することを国民にお勧めする」といった趣旨のメッセージを日銀は発し続けた。例えば、賃金交渉や、投資や消費の意思決定の参考にして欲しいという趣旨で、当初は「通貨供給量を2倍にして2年後には、2%のインフレ率を実現する」と「2」を3つ並べて国民に訴えかけた。通貨供給量の増大がインフレに対してプラスに作用することに加えて、「日銀は2%のインフレになるまで金融緩和政策を行う」と国民に信じて貰うことが、その政策を後押しするという建て付けだった。

 日銀は、国民の「期待に働きかける」領域に踏み込んだのだ。つまり、国民の予想を変えようとした。

 投資の世界では、自分の利益のために他の投資家の予想を変えようとして情報を流すと、場合によっては「風説の流布」などの不正に問われかねない。しかし、日銀の国民が持つインフレ期待に対する働きかけは、政策の実現を目的としたものであり、政策の中間目標である「2%程度のマイルドなインフレ」が望ましいということについて、大方の合意が得られていたので、この政策に対して反対の声は大きくなかった。

 ところが、その後、日銀は大規模な金融緩和政策を続けたが、2014年と2019年の二度に亘って消費税率引き上げが行われるなど財政政策が緊縮的な方向に変化したこともあって、「2%」のインフレ目標はなかなか達成されなかった(注:筆者の解釈である)。

 ここで日銀は微妙な立場に立たされた。本来財政政策の協力があることが望ましかったのだが、「日銀の金融緩和だけでは2%の達成は難しい」と情報を発信すると、国民は「2%は達成出来ない」との期待を形成しかねない。日銀が発信する情報の期待への働きかけがマイナスの効果になってしまう。

 そこで日銀は、「日銀の金融緩和だけで2%のインフレが達成出来る。必要があれば追加の金融緩和を行うし、そのための有効な手段はある」といった趣旨のメッセージを発し続けることになった。加えて、そのメッセージを信じて貰うために、現実に金融緩和策を出してみせる必要が生じて、その結果、YCC(イールド・カーブ・コントロール)やETF(上場型投資信託)の買い入れといった、必ずしも適切ではない政策にも足を踏み入れたのではないだろうか。

「期待に働きかける」政策は画期的であったが、一方で、それ自体が日銀の行動を制約した。本稿は2022年の年末に書いているが、来年の春に予定されている新しい正副総裁の体制下では、期待に対する働きかけは意識しつつも、例えば、財政政策の協力が必要であればその必要性を率直に訴えるような、新しいコミュニケーションの形式を日銀が確立してくれることを望みたい。

 日銀だけでなく、米国のFRB(連邦準備制度理事会)なども「市場との対話」などと称されて、市場参加者の期待に対する働きかけが注目され、時には批判を浴びることもある。

 政策当局にとって国民の期待への働きかけが難しい場合があるし、政策当局だけでなく、例えば、企業の株主や投資家に対する情報発信にも同じような難しさが伴う場合がある。

 投資家は、さまざまな意味の「期待」と直面しなければならないが、状況毎の意味を正確に理解して、賢く対処して欲しい。

「2023年が、投資家の皆さんにとって良い年であることを期待します!」。

(山崎 元)

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