明治時代の法律を引きずる日本の「生産性」 「時間給」思考一辺倒ではもはや通用しない

東洋経済オンライン / 2018年2月14日 8時0分

現代において「生産性」をどう計るべきなのでしょうか(写真:muu / PIXTA)

前回は、ダメな働き方改革の例について批判的に分析しました(部下に丸投げ、「時短ハラスメント」が蔓延中)。今回は、「働き方改革」という文脈でよく使われる言葉である「生産性」とは何かについて、誤解されている方が多いので、一歩掘り下げて考えてみたいと思います。

■時間単位で生産性を測る考え方は適切なのか

そもそも、労働法は生産性をどう考えているのでしょうか。現在の日本の労働法(労働基準法)は、1日8時間、週40時間という「法定労働時間」を超えた分は残業代(時間外割増賃金)の支払いが必要とされています。この考え方は、明治時代の「工場法」(1911年成立)をベースとして形作られています。

この時間単位で生産性を計る考え方は、まさに工場労働のように単純に物を生産する場合には、適切です。1時間多く労働すれば、1時間分多く製品が作れるわけですから妥当するといえるでしょう。また、戦前の劣悪な労働条件におかれた工場労働者を保護する観点からも、労働時間による規制は必要でした。戦後の高度経済成長期においても、同様に労働時間の「量」で測る考え方は合理的だったのでしょう。

しかし、現代はどうでしょうか。知的労働の割合は、以前に比べ爆発的に増えています。たとえば、「10時間悩んで書いた企画書」と「1時間で閃いた企画書」には9時間分の違いがあるでしょうか? アイデア次第では1時間で閃いた企画書のほうが優れていると評価すべき場面も多くあります。

それにもかかわらず、法律が変わっていないこともあり、われわれは時間単位で生産性を計る考え方にいまだに支配されています。しかし、現代においてホワイトカラーの生産性について考えるときは、業務の取捨選択、IT化、人事制度など、さまざまな視点を峻別して検討するべきなのです。

まず、「生産性を上げろ!」と叫ぶだけでは単なる精神論になってしまいます。重要なのは組織として効率よく働く環境を整え、個人として最大限パフォーマンスを発揮することです。前提として、業務量が多すぎたり、無駄な業務がある場合には生産性を上げることもできません。

たとえば、日本企業に勤めていると、隣の席の人が休んだ場合にその仕事を手伝うといったことを体験したことはないでしょうか。日本の働き方は、職務の範囲が不明確であるという特徴があります。しかし、「生産性向上」を考えるのであれば、まずは個人個人の業務の棚卸しを行い、「今、何をやっているのか、またやるべきなのか」を一人ひとり明確にする必要があります。たとえば、業務を以下の5種類に分けます。

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