立川志らく「弟子降格」批判では見えない本質 外野から「パワハラ」とくさすのは無粋である

東洋経済オンライン / 2019年6月2日 18時0分

先月、自身の弟子全員を「前座に降格」させた落語家の立川志らく師匠。落語界にとどまらずテレビ界にも及ぶ彼の魅力や、そのあり方を説く(写真:日刊スポーツ)

落語家の立川志らくさんが、二つ目の弟子たちを全員、前座に降格させたことが話題になっています。

東京の落語界では「真打ち」「二つ目」「前座」という階級があります。入門したばかりの弟子は、まずは「前座」として師匠の身のまわりの世話などの雑用をすることになります。修業を重ねて一人前だと認められると「二つ目」に昇進して、雑務からは解放されます。さらに実力を認められて「真打ち」に昇進すると、自分で弟子を取ることも認められます。昇進させるかどうかは師匠の一存で決められます。

基本的には前座から二つ目、二つ目から真打ちという昇進ルートは一方通行であり、降格することはめったにありません。志らくさんが数多く抱えている二つ目の弟子を全員降格処分にしたことは、落語界では異例のことだと言えるでしょう。

■「異例の降格処分」の理由

志らくさんが弟子たちを降格させた理由は、彼が主宰する劇団「下町ダニーローズ」の舞台稽古に彼らが一度も来なかったからです。舞台の裏方を手伝ってほしいわけではなく、弟子ならば師匠のやっていることに興味を持つのが当然であるはず。それなのに自ら稽古に足を運ぼうとしないことに不満を漏らしたのです。

志らくさんがこの経緯を逐一ツイッターで発信していたため、それがネットニュースなどでも盛んに取り上げられ、「パワハラだ」などと志らくさんを非難する人もいるようです。

個人的には、そのような非難は的を射ていないと思います。師匠と弟子という特殊な関係において、この程度のことがパワハラに該当するはずはありません。

そもそも落語の世界に入門する人は、師匠に憧れて、師匠の芸を盗むために自ら希望して弟子入りをしているのです。「弟子になってください」と頼み込んで弟子を抱える師匠はいません。みんな弟子のほうから頭を下げて師匠のもとに仕えているのです。

いわば、師匠と弟子というのは恋愛関係にあるカップルのようなもの。相手のことを本当に嫌だと思ったなら、自ら別れを告げればいいだけの話です。志らくさんの弟子に対する扱いに不満を述べる人は、他人の恋愛に口を挟むのと同じくらい無粋なことをしているのではないでしょうか。

志らくさんはツイッターで時事問題などに関しても自分の意見を積極的に発信していますし、『ひるおび!』(TBS系)でもコメンテーターを務めています。世の中の常識に縛られずに、自分の意見を堂々と述べる志らくさんは、しばしばネットニュースの題材にもなっています。その歯に衣着せぬ主張に対して違和感を感じたり、批判をしたりする人もいるようですが、志らくさん本人はまったく意に介していません。

そんな志らくさんの行動原理を読み解くには、彼が生粋の「立川談志原理主義者」である、という一点をおさえておけば十分です。

志らくさんはもともと落語が大好きで、中でも立川談志さんに心酔して、弟子となりました。談志さんの落語はもちろん、その趣味嗜好や生き様、人生観などのすべてにおいて多大な影響を受けています。談志さんが亡くなった後には、彼が所蔵していた膨大な量の芸能関係の資料とその住居だった一軒家まで志らくさんが譲り受けました。

■師匠・立川談志とはどんな人物か?

談志さんは弟子に対して人一倍厳しいことで知られていました。落語界では珍しい「上納金制度」を採用していて、弟子からお金を取っていました。談志さんには「修業とは矛盾に耐えることだ」という持論があります。

彼の弟子はそれぞれ修業時代に無茶な要求をされたり、理不尽に怒られたりしてきました。ただ、それがあとから話のネタになったり、伝説として語り継がれたりもしています。落語家の師弟関係とはそういうものなのでしょう。

また、談志さんは世の中に対してシニカルな目線を持ち、自由奔放に発言をすることでも知られていました。私がとくに印象に残っているのは、2001年ごろに爆笑問題の深夜番組にゲストとして出演した談志さんが、嬉々として「あれはすごかったな」と、ある出来事について話していたことです。

このとき、放送上では談志さんの詳しい発言内容はカットされていたのですが、映像では彼の身振り手振りが捉えられていました。片手で飛行機を、もう片方の手でビルを表現して、飛行機がビルに突っ込むところを描写していました。

そう、多数の死傷者を出して世界を震撼させたあの「アメリカ同時多発テロ事件」を、談志さんは笑いながら話のネタにしていたのです。今の時代の地上波テレビでは、まず見られない光景です。

これに代表されるように、談志さんは世の中の常識やモラルに縛られない異端児として、強烈な存在感を放っていました。無邪気な子どもっぽさがある一方で、好きな分野に関しては博識で理屈っぽいところもあり、その落語論や芸論に関しては右に出る者がいないほどです。

談志さんは「伝統を現代に」をモットーとして、古典落語を現代の観客が楽しめるものとして提供することにこだわってきました。自分自身もテレビなどのメディアに積極的に出演して、その存在をアピールしてきました。

志らくさんは今から34年前に弟子入りして早い段階で頭角を現し、真打ちに昇進して落語家として名を成したのですが、テレビタレントとしての露出はそれほど多くはありませんでした。志らくさん自身はそのことがずっと心残りだったようです。

最近になってようやく、志らくさんがテレビにもたびたび出るようになってきました。大手芸能事務所のワタナベエンターテインメントに所属したことがひとつの転機になったのですが、時代の空気が志らくさんのような存在を求めていた、ということもあると思います。

■立川志らくの魅力

今のテレビで重宝されているのは、無難でもなく的外れでもない、程よいバランスで自分の意見を臆せず言えるタレントです。テレビに出ることを本業としているほとんどのタレントは、自分の芸能人としての立場を守ることを優先してしまうため、どうしてもリスクの高い攻めた発言をすることができません。

その点、志らくさんは落語というライブ活動に軸足を置いているため、テレビ界や芸能界に気兼ねせずに、思ったことを堂々と主張することができます。しかも、そこには師匠直伝のウィットやアイロニーも含まれています。テレビのコメンテーターとしてこれほどふさわしい存在はいません。

しかも、志らくさん自身は談志原理主義者ではありますが、人間としてのたたずまいは談志さんとは違います。談志さんはテレビでは無愛想でとっつきづらい印象を与えますが、志らくさんはどこかおどおどしているような感じで、態度そのものは決して偉そうではありません。でも、過剰に媚びた雰囲気もなく、率直に思ったことを言っている感じが伝わってきます。

個人的には、現役の落語家の中では志らくさんの落語が格別に好きです。どこが好きかというと、古典落語に現代の感覚を取り入れて、気軽に楽しめるものにしているところです。しかも、談志さん譲りの理論家肌で落語の本質を捉えているため、噺(はなし)の核心部分だけを抽出して、それ以外はばっさり切るような大胆な演出上の工夫もあって、テンポがよくて見やすいのです。

志らくさんがテレビの人気者になることで、彼の落語の面白さを知る人が増えるのは無条件で喜ばしいことだと思います。志らくさんの発言について「あれはおかしい」「あれは間違っている」などと思っている方は、一度でいいから彼の落語に生で触れてみてほしいです。

ラリー遠田:作家・ライター、お笑い評論家

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