第二次世界大戦、日本にも響いた独ソ戦の要諦 ソ連という巨大な岩塊は流れを転回させた

東洋経済オンライン / 2019年9月18日 8時10分

「ニューズコム」「ワールドヒストリー」第二次世界大戦:ポーランドへのドイツ侵攻第二次世界大戦:ポーランドへのドイツ侵攻、1939年9月1日、45のドイツ師団と空中攻撃を使用。 9月20日までにワルシャワのみが開催されましたが、9月29日に最終降伏が行われました(写真:World History Archivee/ニューズコム/共同通信イメージズ)

ヨーロッパで2度目の大戦が勃発してから80年目。その帰趨を決したのが独ソ戦だ。拙著『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』を上梓したタイミングで、図らずも、独ソ不可侵条約、ドイツのポーランド侵攻、英仏の対独宣戦布告などの歴史的事象が、それぞれ80周年を迎え、さまざまなメディアで報じられたこともあって、考えさせられることも多々あった。

そうして再確認したのは、第二次世界大戦において、ソ連要因が果たした役割の大きさである。ソ連という巨大な岩塊は、いくたびかの決定的な時点で、第二次世界大戦の流れを転回させたのであった。

第二次世界大戦開戦前後と独ソ戦勃発直後の2つの時期における政治と戦略の展開を示しつつ、ソ連の動きをみていくこととしたい。

■戦争の局地化を計るヒトラー

1939年春、ヨーロッパは戦争の予感におののいていた。アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツは、前年に同じゲルマン系の民族が主流を占めていたオーストリアを合邦していたが、さらに英仏伊と結んだミュンヘン協定を無視して、チェコスロヴァキアを解体し、自らの勢力圏に収めたのである。次なる侵略の矛先がポーランドに向けられるであろうことは、誰の目にも明らかであった。

しかし、ヒトラーは1つの壁に直面していた。これまで、第一次世界大戦後のヨーロッパ国際秩序における原則の1つであった民族自決を逆手に取り、ドイツ系少数民族の解放を大義名分として、無血で領土拡張を進めてきたのであったが、その術策も限界に達していたのだ。イギリスとフランスは、これ以上ドイツに対する宥和政策を続けることはできないと、ポーランドに保障を与え、同国が攻撃された場合には参戦・支援すると約した。つまり、ドイツがポーランドに手を出せば、それは2国間の戦争にとどまらず、欧州大戦に発展すると宣言したに等しい。

むろん、ヒトラーも対抗策を取らなかったわけではない。1938年以来、英仏の介入を防ぐために、ドイツは日本との接近をはかっていた。日独防共協定の軍事同盟への強化を目指す、いわゆる「防共協定強化交渉」である。もし日本を同盟国として獲得し、戦争勃発の際の参戦義務を課せられれば、たとえ英仏がヨーロッパの戦争に介入しようとしても、その極東植民地が日本の脅威にさらされることになるから、踏みとどまらざるをえない。それがヒトラーの計算だった。

ところが、ドイツと結ぶことは、英仏、ひいては、両国を支援するであろうアメリカとの対立につながると危惧した日本海軍ならびに外務省は、軍事同盟への反対を続け、ゆえに「防共協定強化交渉」は長引くばかりだった。すなわち、ヒトラーが望んだような、日本による英仏の牽制は期待できなくなったのである。

■スターリン流の安全保障

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