「ええ声」の持ち主、二代目桂南天が拓く新境地 ポジティブ思考で明朗快活な上方落語

東洋経済オンライン / 2019年10月10日 17時0分

この噺の冒頭で演者は「あまり面白くない」というのが約束事になっているが、手練れの落語家がやると平兵衛の悪運がころころと転がるたびに何度も盛り上がりができる傑作だ。

ただ、噺の下げ(落ち)が演者によって異なるなど、終盤のストーリー展開にやや難がある。とくに、庄屋の死体が、崖から突き落とされて「完全犯罪」が成立する重要なシーン。多くの演者はこのあたりに深入りせず、さらっと触れるにとどまるが、やや尻すぼみの印象を与える。

「崖から庄屋さんが落ちてきたときに、平兵衛にだまされたおばあさんと隣村の若い衆が鉢合わせするシーンは、米朝師匠もやってはらへんのです。お互いが自分が罪人やと思て対面する。

互いにしらばっくれて“うちの人がまさか。この人お酒に酔うて崖から落ちはりましたんや” “おばあさん、さよかあ”言うてる。真ん中で平兵衛が“両方とも臭い芝居しとるなあ”言うてね。すごく大事で面白いと僕は思うんです。そういう発見をした。今はそれでやっています」

桂南天は「算段の平兵衛」という、異色のピカレスク(悪党譚)落語の完成者になるかもしれない。

■師匠と落語論を交わすことも

米朝一門の落語家には理論派が多い。噺の解釈をめぐって議論することもしばしばある。南天も論客の1人で、時には師匠の南光と議論を交わせることもある。

「つぼ算」という話がある。ずるがしこい男が頼りない男に頼まれて、瀬戸物屋の番頭をだまして大きな水壺を破格の安値で買うというストーリーだ。

「まんまと成功して、2人して水壺を担って帰るときに、2人で“やりましたな、徳さん” “やったやろ、大したもんや”言い合って帰ります。大概のみなさんの演じ方はそうです。でも、僕は、番頭だけやのうて、頼りない男のほうもだましのからくりを理解してないと思うんです。このアホのほうも、番頭と一緒にだまされてるはずなんですよ。そうじゃないと僕の中で気持ち悪いんです。

うちの師匠は“あいつはアホと違うんや、ただお調子者なだけなんや”と言わはったんですけど、僕の中ではそういう解釈ができてしもてるんで、それでやってます。手応えめちゃめちゃあります。“やっぱり僕流の演出でやりたいな”って思いますね」

昔からあるスタンダードな噺でも、南天は登場人物になり切って考えるのだ。こういうこだわりが、南天落語を「よそよりちょっとええもん」にしている。師匠の南光は、そういう南天を許すだけの度量があるのだ。

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