地形でわかる、二子玉川駅付近が浸水した理由 橋脚が川の流れに影響を与える可能性もある

東洋経済オンライン / 2019年10月18日 8時0分

橋上の二子玉川駅と多摩川橋梁。台風通過の翌日午前。多摩川の水はだいぶ引いていた(2019年10月13日、筆者撮影)

なぜ多摩川は鉄道橋梁付近ばかりが氾濫するのだろうか。東急二子玉川駅付近の氾濫や武蔵小杉駅付近の浸水が盛んに報道されるのを見ていて、こう感じたのは筆者だけではあるまい。

二子玉川駅は、多摩川の上にホームのある橋上駅である。氾濫地点の真上近くに東急田園都市線の多摩川橋梁が架かる。JR武蔵小杉駅も北東数百メートルの所に横須賀線・東海道新幹線の多摩川橋梁がある。

■45年前にも堤防が決壊

思い起こせば1974年、小田急線多摩川橋梁(和泉多摩川―登戸間)の数百メートル下流地点で堤防が決壊し、民家19戸が流失した。ここも鉄道橋梁の近くだったわけだ。激流によって川に面した民家がバリバリと音を立てて崩れ流されていく姿がテレビカメラに捉えられ、当時大きな注目を集めた。

このシーンをモチーフとし、家庭の崩壊と家の流失をダブらせて物語る山田太一脚本、八千草薫主演のテレビドラマ『岸辺のアルバム』が放映され、その点でも広く知られた出来事だった。

近年の多摩川氾濫・浸水地点がいずれも鉄道橋付近で起きたのは、単なる偶然なのか、それとも何か理由があるのか。

以下推察レベルにとどまるものもあり、多摩川の例ではないものもあるが、鉄道橋梁が氾濫の原因になりかねない確かな事例もある。推察と事実を分けながら検討してみたい。

まず二子玉川駅付近の地形を見てみよう。多摩川は今でこそ堤防に囲まれた地を流れているが、数百年から数千年前は氾濫を繰り返し川筋は一定ではなかった。現在多摩川沿いの平地は大昔の氾濫原である。

二子玉川駅の北側には多摩川にほぼ並行して国分寺崖線が連なっている。対岸となる南側にはいわゆる津田山の高台が張り出している。国分寺崖線と津田山の間の細長い平地を多摩川は流れるが、この平地部分の幅は約2kmある。2kmというと広いようだが、そのすぐ上流、そして下流はその倍近くの幅がある。二子玉川駅付近は、多摩川が流れる平地がかなり狭まっている地点なのである。

そうした地形と二子玉川駅との関係を振り返ってみよう。

■大山街道がなぜこの地を通るように作られたのか

東急田園都市線の前身は1907(明治40)年に渋谷―玉川(現二子玉川駅付近)間に開通した玉川電気鉄道である。同鉄道は江戸時代の大山街道(ほぼ現在の玉川通り)沿いに敷かれ路面電車の形で走っていた。大山街道沿いの集落を行き来する乗客を目当ての一つに開業したわけだ。

そして江戸時代かそれ以前、大山街道がなぜこの地を通るように作られたかというと、一部推測になるのだが、多摩川のかつての氾濫原の平地を横切る距離が短くて済むルートになるからと考えられる。

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