「日本式」がベスト?岐路に立つ英鉄道の民営化 コロナ禍で「フランチャイズ制度」見直し論

東洋経済オンライン / 2020年7月16日 7時0分

日立製の車両「あずま」。同車両が走る東海岸本線は英運輸省が民間運行会社の運営権を剥奪し、事実上国有化している(筆者撮影)

日本の国鉄民営化から10年後の1997年、イギリス国鉄は完全民営化を果たした。そのときから民営化の軸とされてきた「フランチャイズ制度」が、コロナ禍をきっかけに岐路に立たされている。

日本の国鉄民営化とは違う「上下分離方式」を導入したイギリスでは、「上」に当たる列車運行会社として国内企業のほか外資参入も実現し、競争が発生することで運賃が下がるなど、利用者にとっては歓迎すべき状態が生まれた。一時は減少していた鉄道利用者数は、今や第2次大戦後で最高を記録するまでになっている。

しかし一方で、列車運行会社が労使間のトラブルや車両運用の問題などで定時運行率を悪化させたり、適正な列車本数を運行せず恒常的に乗れない利用者が出るといった問題を起こしたりと、制度上の欠陥も相次いで発生。近年では運営権(フランチャイズ)を政府に剥奪される運行会社が続発する事態となっており、仕組みの見直しを問う声があちこちから上がっている。

■コロナを機に制度見直しの声

そんな中、イギリスに新型コロナウイルス感染の波が押し寄せた。3月中旬時点で、政府はウイルスの拡散が相当広範囲に広がっていると認識。ジョンソン英首相は国民に向け「Stay Home(家にとどまれ)」と呼びかけ、ウイルスの拡散を食い止める施策を打ち出した。

これを受け、鉄道利用者が大幅に減少すると見越した英運輸省は3月23日、ナショナル・レール(National Rail、旧国鉄線に付けられたブランド名)各線・区間のフランチャイズ契約を6カ月間停止すると発表した。この対応により、列車運行会社各社は当面の間、経営上のリスクを最小限に抑えられている。だが、専門家の間では、これを機にフランチャイズ制度の見直しを求める声も上がっている。

では、イギリスの「フランチャイズ制度」とはどんな仕組みなのか。

イギリスでは、鉄道の運営に「上下分離方式」を採用している。欧州各国の旧国鉄も上下分離化されているほか、日本国内にも例はあり、方式自体は珍しいものではないが、イギリスのフランチャイズ制度は複雑だ。

「上」は運行や運営に当たる組織を指し、イギリスの鉄道においては列車運行会社(Train Operating Company=TOC)と呼ばれる。JR東日本や三井物産などが出資する「ウェストミッドランズトレインズ(West Midlands Trains)」もTOCの1つだ。

一方「下」は線路や信号、駅などの設備インフラを指し、イギリスではネットワーク・レール(Network Rail)という運輸省傘下の組織がその保守・運営に当たっている。

TOCがフランチャイズを得て運行するまでの流れを簡単に示すと、以下のようになる。

【TOCがフランチャイズを得て運行するまでの流れ】
・運輸省が路線ごとや地域ごとに「フランチャイズ」(運営権)を設定。
・列車運行会社(TOC)になりたい企業が、フランチャイズ獲得に向け入札。
・運輸省が審査ののち、フランチャイズを付与。
・TOCが入札時に提示した条件に沿ってダイヤや運賃を設定(運輸省の認可を要する)

現在有効なフランチャイズ契約は全部で17件。このうち2件は民間企業が運営していたTOCが行き詰まったため、暫定的に運輸省が直接運行を手がけている。車両は車両保有会社(Rolling Stock Companies=ROSCOs)が管理・保有しており、新型車両の買い付けも行う。TOCはROSCOにリース料を支払って車両を借りる形だ。

■複雑なフランチャイズ制度

では、TOC各社はどのようにして儲けているのだろうか。

まず気になるのは運賃収入の流れだが、乗客が支払った運賃や料金などはTOCに集約される。ただ、全国の駅窓口や自動販売機、任意のTOCのサイトでチケットが同じ価格で買えるため、TOC間の決済はややこしい。また、TOCが自社運行列車のチケットを自社サイトでのみ割り引いて売っているケースも見られる。

一方、TOCの主な支出は、運転士や車掌、駅職員といったスタッフにかかる人件費のほか、ネットワーク・レールに支払う線路の使用料、ROSCOに支払う車両のリース料、そして運輸省に支払う「プレミアム」だ。

プレミアムを支払うのは採算性の高い路線網の場合で、不採算路線の場合は逆に運輸省から補助金が出る。フランチャイズの競争入札では、TOCになりたい企業各社が提示するプレミアムの支払い見込み額、あるいは求める補助金の額(少ないほうがいい)が重要な選考ポイントにもなる。

これらを支払ったうえで、手元に残った分がTOCの利益となるわけだ。

先に述べたように、新型コロナの感染拡大による厳しい外出制限を受け、鉄道旅客需要が一気に減少することは想像にかたくなかった。そこで運輸省は仕組みを大幅に変更し、TOCの負担を軽減する措置を取った。

【コロナ禍におけるTOC救済プラン】
・運輸省が旅客収入全額を徴収。
・線路使用料などの運行経費、職員の賃金、車両リース料を政府がすべて負担。
・TOCは少額の運営費(各TOCのコロナ前支出の2%を基準)を運輸省から受領。
・実際の列車運行は各TOCが政府との調整を経て引き続き担当。

実際に「ロックダウン宣言」から2週間後には、鉄道による移動人口がコロナ以前と比べて99%減(つまりほとんど乗客がゼロ)の水準まで下がってしまった。乗客数急減の水準は1860年代、つまり日本に鉄道がイギリスから伝わるより前のレベルまで落ち込むともいわれている。もともとの仕組みであれば、TOC各社の経営は立ちゆかなくなってしまう。

つまり、こうした救済策が奏功して最小限の列車運行を維持できたわけだが、一方で公金から多額の負担をつぎ込む格好となったのは否めない。

■鉄道利用者数は前年比10%以下に

総額はまだ正確に算出されていないが、これまでにコロナ対策での運行維持のために政府が拠出を承認した額は35億ポンド(約4600億円)に達している。これをコロナ発生から6月中旬ごろまでの旅客数をもとに算出すると、乗客1人当たり100ポンドもの税金が注ぎ込まれていたことがわかった。

日本でもコロナの緊急事態宣言中に人の動きが止まり、特に地方の公共交通事業者の経営が極めて厳しいと報道されているが、実際に救済を目指すとなると、こうした水準の資金を使って支援しなければ運営を継続できないという厳しい実態が浮かび上がってくる。

ナショナル・レールの利用者数は今年、第2次大戦後で最大水準の19億人に達すると試算されていた。だが、新型コロナの第2波のリスクは世界的に消えていない。6月15日にはイギリスでも外出制限がかなり緩和され、非食品を扱う一般商業施設の再開が認められたものの、客足の戻りは鈍いうえ、徹底したテレワークへの移行によりナショナル・レール各線の利用者は前年同期と比べて10%以下にとどまっている。

そこで、TOC各社は「政府による救済措置を6カ月だけではなく、2倍の12カ月、さらには18カ月まで延ばしてほしい」と訴えている。これは、新型コロナの特効薬なりワクチンなりが開発されない限り、乗客は戻ってこないとの読みが働いているからだ。

政府に対し「当分この施策を継続すべき」との圧力がかかっており、現地紙には「TOCに対する運営費を現在の半分の水準にして、2022年3月末で継続する可能性」を報じる記事まで出てきている。

あるTOC関係者は「もし今の状況で政府が支援を打ち切るのであれば、低収入へのリスクに直面するほとんどのTOCは『フランチャイズの返納』を求めることになるだろう」と厳しいコメントを述べている。

そんな中、イギリスの鉄道アナリストの間では、「このままフランチャイズ制度がひっそりと消えていくだろう」という論評が盛り上がっている。といっても、国が多額の補助金を投入して運行維持に腐心しているからといって、イコール「再国有化」の道を開くものではない。

■「コンセッション方式」が理想的?

今回の新型コロナによる特別措置は、すべてのフランチャイズを現状のTOCによって運行維持させながら、以前からある「コンセッション方式」に近い形で暫定的に運営させる格好を取っている。アナリストらの間では「これを将来において恒久的に続けるのが妥当」という意見が強くなっている。

「コンセッション方式」とは主に、自治体が管理する交通事業体での列車運行で見られる仕組みで、運行を民間のTOCに委託し、TOCは自治体から一定の契約金を得て運営を行うというものだ。この方式では、乗客数の多寡はTOCの収益に反映されず、旅客減少による減収減益などのリスクは自治体が負う形となる。なお、契約によっては実績に応じて加算されるボーナス的な報酬や、怠業によるペナルティが課されることがある。

新型コロナ対策での列車運行においては、実質的にこのコンセッション方式に近い形が導入されている。近い将来の旅客需要復活が見込めない中、従来のフランチャイズ制度とは異なるアプローチを検討する必要性が高まっていると言える。

つまり、当分の間(あるいは、これから後の「ずっと」かもしれないが)、上述の「自治体」の役割を運輸省自らが担い、TOCに収入変動のリスクを負わせない形で、一定の契約金を支払う契約を結んで運行を維持するのが望ましいということだ。

イギリスの鉄道業界におけるフランチャイズ制度は導入から25年あまり経たが、ここ10年間は入札する企業の数はそれ以前と比べて明らかに減少している。これは、英運輸省がTOCに対し、支払いの管理やリスクマネージメントに関する要件をより厳しくしたことや、あるいは鉄道路線そのものが飽和状態にあり「商業的なインパクト」のある列車運行を考える余地がない、といった背景があると考えられている。

長距離区間のフランチャイズはかなり厳しい状況にある。例えば日立製作所が製造した都市間高速車両「あずま」が走る、ロンドンとスコットランド間を結ぶ東海岸本線では、過去10年間で2度もTOCの運営に問題があり、会社側が運営権を返上したり、運輸省が運営権を剥奪したりした経緯がある。

最近では3月1日付で、イングランド北部の運行を担当していたノーザン・レール(Northern Rail)が「運行の遅延や列車のキャンセルが慢性的に起きている」としてドイツ鉄道(DB)子会社が持っていた運営権が剥奪されている。

■「日本方式が望ましい」

そんな中、過去に取りまとめられた「イギリス鉄道業界のあるべき姿」を示した報告書が亡霊のように蘇ってきている。

これは2018年の秋、ダイヤ通りの運行維持が不可能となり大混乱が生じたのをきっかけに、イギリスの航空会社ブリティッシュ・エアウェイズ(BA)取締役会長を歴任したキース・ウィリアムズ氏を座長とする独立委員会が取りまとめたものだ。

報告書は、列車運行会社とインフラ管理会社が共同でサービスを提供し、これをより広い地理的エリアをまとめる形で実施する――つまり「いま、日本で行われているような方式に近いもの」が望ましいとしたうえで、「少なくとも、フランチャイズ制度は今後、継続するべきではない」と断罪。抜本的な対策を待ち望んでいる姿勢がうかがえる。

欧州の国鉄民営化で広がった「上下分離方式」をめぐっては、日本でも第三セクターや地方路線などの運営に際し、参考にすべき方式として多くの研究者が分析などを行ってきた。しかし、欧州他国より複雑な仕組みを採用しているとはいえ、上下分離による運営を行ってきたイギリスの委員会が「(上下分離でなく地域分割した)JRの仕組みがより望ましい」と述べていることは驚くべき事実と言っていいだろう。

コロナ禍を通じ、世界中の公共交通機関が未曾有の危機に晒されている。果たして、イギリスの鉄道界はコロナをきっかけに「大規模改革」の道を歩み始めるのだろうか。

さかい もとみ:在英ジャーナリスト

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