ゴールドウイン、コロナ後のアパレル生存戦略 店舗づくりで重視する顧客との非言語の対話

東洋経済オンライン / 2020年7月25日 7時0分

6月に開業したニュウマン横浜の女性向け「ザ・ノース・フェイス マーチ(THE NORTH FACE 3)」(写真:ゴールドウイン)

かつて「スキーの会社」だったゴールドウインは、いまや「アウトドアの会社」へ進化している。その立役者が、4月に社長に就任した渡辺貴生氏だ。

大学卒業後の1982年に入社。創業者である故・西田東作氏(西田明男・現会長の父)にものづくりの根幹を学び、2000年に「ザ・ノース・フェイス」の事業部長に就任し、ゴールドウインを代表するブランドに育て上げた。

ノース・フェイスを中心としたアウトドア関連事業の売上高は約8割を占め、2020年3月期は3期連続で最高益を更新した。

だが、新型コロナウイルスの感染拡大後は直営店の臨時休業が続き、5月までの売り上げは前年同月比で半減している。アフターコロナ時代のアウトドアブランドをどう展開するか。渡辺社長に聞いた。

■店舗づくりで大事な非言語コミュニケーション

――低迷が続くアパレル業界にあって、市場を牽引してきた「ザ・ノース・フェイス」ですら新型コロナウイルスの影響を大きく受けています。

大変なときに社長を引き継いだなと思ったが、それは一瞬。自粛中のリモートワーク時から、「こういうときにこそ新しいアイデアを生み出せる。次に向けての準備をしよう」と社員たちに声がけした。

会社は1998年3月期と1999年3月期で合わせて100億円近い当期純損失を出し、ノース・フェイスの事業部長になった2000年はバブルが崩壊し、スキーブームが去って明るい兆しなどまったく見えない頃だった。その逆境が自分自身を育ててくれたと実感している。

事業部長になってから直営店での販売に力を入れ始め、私が思い描く新しいリテール戦略に取り組んだ。出店する場所によって周囲の環境は違うのに、ユニット化された同じ店舗を日本各地に展開するのはおかしい。だから、「同じ店舗は二度と作らない」というルールを決め、商品の種類から陳列の仕方、壁の色、BGMに至るまで、直営店の店づくりは趣向を凝らした。

例えば、銀座の店舗はアウトドアを日常的に、ライフスタイルとして取り入れる人をイメージして作った。丸の内の店舗は、皇居の周辺で走る人々を意識した。日比谷の店舗は、都市部でありながら、あえてライフスタイル的な売り場とせず、トレッキングやアウトドアを楽しむための商品を展開している。

店舗に飾る絵や備品などは9月と1月の年2回、自らフランスに買い付けに行っていた。中心に置くテーブルはケヤキで、他はオークにするなど内装デザインにこだわり抜く。これらの店舗作りノウハウはマニュアル化されているわけではないが、私が現場を離れた後も20年間積み上げられた「暗黙知」として受け継がれている。

店舗ごとの売り上げの目標はもちろんあるが、数字は追うと逃げるものだ。数字では読み取ることができない、世の中の声を吸い上げる必要があると思っている。

店舗づくりで大事なのはノンバーバル(非言語)コミュニケーションで、客に居心地が良い、店員に話しかけやすい、長くここに居たいと思わせることができれば、自然と売り上げは伸びていく。ノース・フェイスがここまで成長したことが、重要なのはアイテム数や坪数などの数字ではなく、「表現で見せる」ことだというのを物語っている。

――コロナ禍でどんな新しいアイデアを生み出したのでしょうか?

1つは、まだ世の中にない、「体験型」とでも呼べるようなEC(ネット通販)サイトを作りたい。EC事業はノース・フェイスとして初の路面店出店がうまくいかず、悩んでいたときに生まれたアイデアだ。2001年に出店した福岡店は売り上げが伸びず、福岡店舗内の一角から全国に向けて販売しようと始めた。

具体的なことはまだ言えないが、リテール立て直しのため、来期以降、新しい2つのコンセプトの店舗を作ろうと考えている。

新型コロナの前から、いくらノース・フェイスが好調だからといって、同じことの繰り返しはよくないと考えてきた。新しいアイデアの実現のため、AIのようなテクノロジーが必要だというなら戦略的に取り込んでいきたい。

■ノース・フェイスは学生時代から憧れだった

――創業者がトップの企業に入社し、プロパー社員として38年間勤めてきて、社長になりたいと考えたことはありましたか。

それはない。1960年代にアメリカ西海岸で誕生した本格派のアウトドアブランド、ノース・フェイスは私の学生時代からの憧れだった。そのノース・フェイスと契約を結び、日本で事業を展開しているのがゴールドウインだと知り、入社した。

そこからはアウトドア事業一筋。自分の得意分野はアウトドア事業だという気持ちが強く、社長として会社全体の戦略を考えるという感覚は持っていなかった。

ただ元来、僕は長期的に物事を見る人間で、これまでも10年、20年というタームで戦略を練ってきた。

例えば構造タンパク質素材を作っているスパイバーに2015年出資した。この素材は、30年後に世界の考え方が変わり、デファクト・スタンダードとなっているような要素技術だと感じた。社長となった今では、この構造タンパク質素材をスポーツアパレルにおける新たな市場展開につなげる必要性があると強く感じるようになった。

「週刊東洋経済プラス」のインタビュー拡大版では、「コロナ後の生活様式の変化」「研究開発施設の狙い」「商品企画や店舗作りの考え方」などについても語っている。

中原 美絵子:東洋経済 記者

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