小田原の路面電車「64年ぶり里帰り」実現するか 長崎に移籍の車両、クラウドファンディングで

東洋経済オンライン / 2020年9月4日 7時20分

小田原市内を走る箱根登山鉄道軌道線の202号車。長崎に渡った同車両の引退を受け、小田原市内で保存するプロジェクトが進行している(写真:小田原ゆかりの路面電車保存会)

かつて小田原市内を走っていた路面電車(箱根登山鉄道軌道線)の車両を長崎から里帰りさせようというプロジェクトが進行している。1956年5月の同路線廃止後、長崎電気軌道に移籍した車両のうちの1両が、2019年3月に引退。受け入れ先を探していたのに対して、小田原で結成された有志団体「小田原ゆかりの路面電車保存会(以下、保存会)」が手を挙げたのだ。

保存会会長の小室刀時朗(としろう)氏は、「もし、実現すれば、実に64年ぶりの里帰りとなり、小田原の歴史を語り継ぐうえでのシンボルとなる」と話す。

■小田原の路面電車とは?

小田原の路面電車の歴史は1888年の小田原馬車鉄道(国府津―小田原―湯本)の開業にまでさかのぼる。同時期に国府津から静岡まで延伸された東海道線は現在の御殿場線経由だったため、鉄道が通らないことで街が衰退するのを危惧した小田原と箱根湯本の有力者が発起人となり、この馬車鉄道を設立した。

同鉄道は自前で水力発電所を建設し、1900年3月に全線の電化を完了(電化完了に先立ち小田原電気鉄道に商号変更)。また、1919年6月には、湯本―強羅間の登山鉄道(現・箱根登山鉄道)を開業させた。

1920年に熱海線(後の東海道線)の国府津―小田原間が開業したのに伴い、小田原電気鉄道は重複する国府津―小田原間を廃止。その後、関東大震災の被災などによる経営危機を経て経営資本が変わり、1928年に箱根登山鉄道が設立され、小田原―湯本間を走る路面電車は箱根登山鉄道軌道線となった。

さらに、1935年に小田原―箱根湯本間の鉄道線が開業したことにより、同じ会社の路線が同じ区間で重複することになったため、軌道線は小田原駅前―箱根板橋間のみに短縮して営業を継続した。しかし、戦後の自動車交通量の増大による道路改修を機に、1956年5月31日に廃止された。

今回の里帰りプロジェクトの対象になっている車両(箱根登山鉄道202号車=長崎電気軌道151号車)は、1925年に王子電気軌道(後の都電荒川線)が新造した、齢95歳の長寿車両だ。1950年に箱根登山鉄道に移籍し、軌道線廃止後、ほかの4両とともに計5両(201~205号車)が長崎電気軌道に移籍したが、現存するのは202号車1両のみとなっている。

里帰りプロジェクト立ち上げの経緯について、保存会副会長の平井丈夫氏は次のように話す。

「202号車が長崎にあるのは以前から知っていて、3年ほど前に(長崎電気軌道の)浦上車庫を訪問し、とてもきれいに手入れされているのを見て感激した。そのときは、いつか小田原に里帰りさせられないかと漠然と考えていたが、昨年、新聞記事で202号車が引退するのを知り、引退後の処置について長崎電気軌道へ問い合わせると、廃車・解体するとのことだった」

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング