「誰でもPCR」は公費の大半を捨てることになる うっかり検査を受けた人の陽性・陰性のリアル

東洋経済オンライン / 2020年9月4日 8時0分

名古屋市のPCR検査場のデモンストレーション(写真:時事通信)

新型コロナに関連してはPCR拡大論がかまびすしい。筆者は、有症状・無症状にかかわらず、感染者を早期に発見し隔離することは、現時点においても公衆衛生上の意味があると考えている。と同時に、近い将来、たとえ有効なワクチンや治療薬が開発されていなくても、無症状の患者をせっせと見つける努力自体が「バカらしい」「無駄」と見なされるようになるであろう、とも思っている。重症者だけ見つけてそこに集中的に医療資源を投下すればいいという考え方だって、限られた資源の配分としては十分に有力なものだからだ。

皆が非効率な検査に疲れ果て、有限な資源を無駄遣いしていることに気づくと、検査の最適化の問題が改めて議論されることになるだろう。そしてそれは、指定感染症としての扱いをどうするかという議論にとっても避けることができない。指定感染症のひとまずの指定期限は来年1月である。

二類感染症相当(結核、SARSなどと同様)を五類相当(季節性のインフルエンザと同様)とするのかという問題の本質は、社会が新型コロナウイルスの流行についてどの程度までなら仕方ないものとして許容し、そのためにどの程度の負荷(不便、わずらわしさ、費用等)を引き受けるのかということである。仮に季節性インフルエンザと同等の扱いをするとなったときに、社会のあらゆる場面でPCRスクリーニングを課すのはあまりにバカバカしい姿に映ることだろう。

■非効率な検査に公衆衛生上のメリットはない

現時点ではまだ意味がある、とした理由は、新型コロナが1年の四季を通してどのような流行の形をとるのかが、まだわかっていないからだ。特に冬場に向けてある程度正確な感染動向を知ることは、この新しい感染症に対する政策を立案するうえでまだまだ重要である。そのような公衆衛生的、行政的必要から、当面はPCR検査による感染者の捕捉をより徹底する必要がある。現状では数量的にも足りていないし増やすべきだ。その意味で、筆者は一貫してPCR拡大論者である。

しかし、筆者の拡大論は、巷(ちまた)にあふれる無分別な拡大論とは区別されるべきものであることを強調しておきたい。本来重要なことは「感染が疑われる人(=検査を最も必要とする人)が速やかに検査されること」である。

ところが、「国民全員に検査を」「希望する人は誰でも」というような、国民全体の有病率がそのまま検査前確率であるような人々に対する検査を求める声が根強い。このような、「疑わしい要素が特段にない人まで検査すべき」という主張を、以下、「巷のPCR拡大論」と呼ぶ。この「巷の拡大論」の問題点は、PCR検査の量的拡大の意義をまったく誤解していることにある。ただ検査の数だけが増えればいいのではないのだ。検査することで、一人でも多くの感染者を見つけ出すことこそが重要なのだ。

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