41歳で初の名刺を得た彼女が苦悩から脱せた訳 就職難に翻弄され、親との関係にも悩み抜いた

東洋経済オンライン / 2020年10月3日 13時10分

「生きづらさ」を抱えて生きてきた彼女がそこから抜け出すまでの道のりを追う(筆者撮影)

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、ますます人と人とのつながりが希薄となり、孤立と分断が加速し顕在化する現代ニッポン。

私たちの「生きづらさ」は、長期的な経済の低迷だけでなく、社会に蔓延する偏見や同調圧力、家族や地域社会の崩壊といったさまざまな背景を含んでいる。なぜ、こんなにも困難な時代を生きているのか。この連載では、多様な「生きづらさ」を抱えた人たちの人生を追うことで、我々の社会が抱える病巣や問題点を浮き彫りにしていく。

第1回は、就職難や親との関係に悩み、生きづらさを抱えてきた女性がブレイクスルーするまでの人生の軌跡をたどった。

■毎日のように母親から罵倒されて育った

河野里美さん(仮名・44歳)は、親との関係に悩み、大学卒業時に就職氷河期にぶち当たるというダブルパンチに苦しんできた。

「これまで、何をするにも自信が持てなかった。数えきれないほど人間関係にもつまずいてきたんですよ。本当に生きづらかった」

そうつぶやく里美さんは、スーツ姿の一見サバサバとした優しい雰囲気の女性だ。現在は、正社員として現場技術職に就いている。

里美さんの家庭は、幼い頃に両親が離婚。幼い段階から1人で大人並みの家事や、弟の親代わりとしての役目を強要され、「お前は一生結婚できない」などと毎日のように母親から罵倒されて育った。

里美さんは、次第に自分は価値のない人間だと思い込むようになる。自尊心を形成できず、小中高時代は、壮絶ないじめにも遭った。

同級生に顏が気持ち悪いと嘲笑われ、からかいの対象となった。

目の前で、「オエー」と吐く真似をされたり、ばい菌扱いされたりするのは日常的だった。母親に必死になって、時には泣きながら現状を訴えても、「気にしなければいい」「ニコニコしてればいじめられない」と言われて、無関心だった。そのため学校では常に孤立していた。

「この環境から逃げたい、転校したいと思ったこともある。でも、母親にどんなに訴えても、無理でした。訴えれば訴えるほど、どんどん立場が悪くなり、家庭の中で居場所がなくなっていったんです。ただ耐えるしかなかった。

私は人との距離感や常識がわからない。会社でも学校でも人間関係で失敗してきました。外に出て傷ついても帰ってくる場所がないから、踏み出そうとしても、煙の中を歩いているようで、こわかったです」

里美さんは、高校卒業後、文系の大学へ進学。しかし、そこでもまたしても、受難が待ち受ける。世の中は、就職氷河期真っただ中。大学3年で、ほぼ卒業単位を取り終えた里美さんは、土日も関係なく企業説明会に足を運び、1年かけて死に物狂いで就活に励んだ。

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