「何もない」大崎は鉄道を支えた工業の街だった 来年120周年、悲しそうな「自虐キャラ」で注目

東洋経済オンライン / 2020年10月18日 7時50分

山手線と埼京線、湘南新宿ライン、相鉄線直通列車、りんかい線が乗り入れる大崎駅。現在は高層ビルが立ち並ぶが、2000年代に入るまで周辺には工場が並んでいた(筆者撮影)

2021年、大崎駅は開業120周年を迎える。

2002年には、りんかい線が延伸を果たして埼京線と相互乗り入れを開始。同時に南口を新設し、大崎駅のにぎわいは加速した。それまで光の当たることが少なかった同駅は熱い視線を注がれるようになった。それでも、一般的に知名度が高いとはいえない。

そんな大崎駅の存在感を高めようと、JR東日本は開業120周年を前にオリジナルキャラクター「おうさき」を誕生させた。ウサギを模したキャラクターで、大崎(おおさき)とうさぎをかけていることがうかがえる。

おうさきの誕生を知らせるポスターには、「大崎ってなにもない」「大崎止まりの山手線はいらない」「他の駅と間違って降りました」などと自虐的な文言が並ぶ。山手線の西側には池袋駅・新宿駅・渋谷駅など、指折りのメジャーな駅が連なる。そうしたメジャーな駅に近いだけに、大崎駅の存在が隠れがちになることは仕方ない。

それでも大崎駅の歴史をひもとけば、日本の近代化を牽引し、なにより鉄道の発展に欠かせなかった駅・街であることを実感できるはずだ。

■明治半ばの1901年に開業

大崎駅は1901年に産声をあげた。このときは日本鉄道という私鉄の駅だった。日本鉄道は1883年、上野駅を起点に熊谷駅まで開業。翌年には高崎駅まで線路を延ばした。

日本鉄道が高崎駅へ線路を延ばした背景には、富岡製糸場の存在がある。明治新政府が発足すると、政府首脳は富国強兵と殖産興業を2大スローガンに掲げた。殖産興業は言うならば日本の経済と産業を振興するという成長戦略だが、開国したばかりの日本にとって海外から輸入される舶来品は脅威でしかなかった。

農産品も工業製品も、メイドインジャパンは太刀打ちできない。頭を抱えた明治政府だったが、それでも茶と生糸だったら海外と勝負になることを突き止める。こうして茶栽培と生糸生産が奨励された。

生糸を大量に生産するため、政府は官営富岡製糸場を設立。富岡製糸場で生産された生糸は、高崎駅から鉄道に積み込まれて輸送された。そして、横浜港から海外へと輸出されていく。

日本鉄道が上野駅を起点に高崎駅を目指したのは生糸輸送が理由だが、当時は上野駅と新橋駅(後の汐留)との間が線路でつながっていなかった。そのため、上野駅まで運ばれた生糸は、いったん荷下ろしされて、新橋駅で再び積み込んでいた。

積み替えは時間的なロスを生む。効率化と迅速化を図るべく、日本鉄道は赤羽駅から線路を分岐させて官営鉄道(現・東海道本線)の品川駅までを結ぶ短絡線を建設。高崎駅から横浜駅までが1本でつながり、積み替え作業は不要になった。これで輸送時間は一気に短縮した。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング