北海道のTVマンが記した「デス・ゾーン」の真意 開高健ノンフィクション賞・河野啓氏に聞く

東洋経済オンライン / 2021年1月17日 15時0分

 栗城さんはいつも「夢は叶う」「夢の共有」を訴えかけていたけれども、重要な局面では「ひとりぼっち」だった。常に自分を律しながら生きていかなければいけなかった。しかし、それは彼だけでない。僕も、いや誰もがそうで。その「単独」を目指せない人間がネットに群がって、人を叩いているというイメージを同時にもったんです。

――もうすこし、説明してもらえますか。

自分のない人間が、いま叩かれている人の情報を知り「歪んだ正義感」をもって攻撃をしかけていく。逆説的ですが、栗城さんはそういうことはしなかった。攻撃された相手に言い返すというのはしょっちゅうやっていたけれども、すくなくとも僕が知る限り、自分から叩きにいくということを彼はしなかった。

占い師さんの取材をしていて「単独」という言葉が浮かんできたとともに、これは本にも書きましたが、自分がひとりぼっちになったような気になったんですよ。占い師さんの事務所を去ったあと、物悲しいというか、人恋しいというか、背中の汗がすっとひいていく感じがしたんです。そのとき「単独」というのがこの本のテーマかなと思ったんです。

■メディアの一員として考えていることを正直に書いた

――なるほど。その「単独」とも関係しますが「あとがき」のところで、タイガーマスクのエピソードが出てきます。栗城さんの姿を覆面レスラーと重ねられていて、するどい解釈だと思いました。

実際、彼がタイガーマスクの覆面を被って現れたことが何回かあったんですよ。オセアニア最高峰のカルステンツ・ピラミッドに登って帰国した際にも、新千歳空港の到着ロビーを通過するとき覆面を被ってガッツポーズをしていた。その理由を聞けばよかったんですが、あれは、なぜ被っていたのか。ただ単に好きだったのかもしれない。誰かのために何かをする主人公に惹かれていたのか。あのマスクを被っている彼の姿が浮かぶとともに、舞台を生きた男だったんだなと。

アートの世界ではバンクシーという素性を明かさない覆面アーティストが称賛されていますが、栗城さんは素顔を明かすことで持ち上げられもしたけれど、ネットですごく叩かれもした。もしも「覆面登山家」でいたら、彼は死ぬこともなかったかもしれない。いろんな思いが交差して、ああいうあとがきになりました。

――この本で印象的なのは、テレビが栗城さんを祭り上げた「罪」について書かれている。彼が掲げていた「単独無酸素」も調べれば言葉の矛盾に気づいただろうに、スルーしてしまっていたこと。タレントのように持ち上げはしたけれど「人間として愛していたのか」。

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