白血病のJリーガー「病名公表」するまでの苦悩 酒井高徳選手が見舞い、南野選手も心配のメール

東洋経済オンライン / 2021年1月20日 21時30分

正直、病状が出て、正式に白血病と決まってからも、プロサッカー選手としての契約の問題は非常にナーバスなもので、自分も目を背けていた部分があった。

当然、何かしらの決断を下さないといけない。僕はプロサッカー選手であることが終わることも覚悟しながら、神田さんが到着するのを待った。

■一生忘れない言葉

面会当日。僕は朝から落ち着かなかった。どんな結論も受け止めるつもりでいたが、不安ばかりがどんどん膨れ上がっていった。

「早川さーん、面会です」

看護師さんがこう言いながら部屋に入ってきた。僕の緊張はピークに達した。

神田さんが僕の前に座り、僕も椅子に座って向き合った。そして、神田さんの口から出てきたのは、一生忘れないであろう言葉だった。

「史哉がどう思っているかわからないけど、史哉に現役を続ける意志があるのであれば、クラブとして、復帰までしっかりとサポートしたいと思っている」

うれしくて、気がついたら涙がこぼれていた。

「まだ自分をアルビレックスの選手として居させてくれる。まだ、サッカーができるチャンスがあるんだ……。プロサッカー選手としてまだやれるんだ……」

張り詰めていた空気が切れた。希望は消えていなかった。僕の心にさらなる勇気が湧き上がった。

神田さんとの面談のあと、高校時代の恩師であり、アルビレックス新潟のトップチームのコーチの片渕浩一郎さんから電話が入った。

「史哉、一緒にご飯でも食べに行かないか」

片渕さんはいつも僕のことを考えてくれた。僕の気持ちを推し量ったかのように、話がしたいタイミングで声をかけてくれる。

「はい、ぜひ行きたいです」

そう答えると、翌日、僕は病院に外出届を出した。治療に挑む覚悟は決めていたが、いざ治療が始まれば、落ち着くまではしばらく外にも出られないと思うと、急に寂しい気持ちが襲ってきた。最後に少しでもいいから外出をしたい。その気持ちを病院側も汲んでくれた。

外出当日、片渕さんだけでなく、中学時代からお世話になってきた若杉透さんも加わって、3人で出かけることになった。

僕にとっては、昔からお世話になり、僕のサッカー人生に大きな影響を与えた2人。「何が食べたい?」と2人に聞かれ、「もう生ものが食べられなくなるかもしれないので、お寿司が食べたいです」とリクエストした。

若杉さんの家の近くにあるお寿司屋さんで、お寿司を食べながらいろいろな会話を交わした。サッカーの話から昔話、何気ない会話に本当に心が落ち着いた。

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