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51歳女性「年収200万の正社員」までの険しい道 コロナ禍で「ピッキング」の仕事がなくなった

東洋経済オンライン / 2021年5月4日 11時0分

手持ちのお金が数百円しかないという美恵さん(編集部撮影)

この連載では、女性、とくに単身女性と母子家庭の貧困問題を考えるため、「総論」ではなく「個人の物語」に焦点を当てて紹介している。個々の生活をつぶさに見ることによって、真実がわかると考えているからだ。

今回紹介するのは、「コロナで派遣の仕事がなくなり、現在は施設警備の仕事をしています。でもキツいわりに給料が安く、毎日しんどいです」と編集部にメールをくれた51歳の女性だ。

■コロナ禍で派遣の仕事がなくなった

三たび緊急事態宣言が発出されて、都内は街灯以外が消灯した。人の流れを抑制することで経済活動が鈍化し、まず生活に直撃するのは非正規で働く末端の労働者たちだ。ため息をついていたところ、山崎美恵さん(仮名、51歳)からSOSとも読めるメッセージがきた。

「コロナで派遣の仕事がなくなり、現在は施設警備の仕事をしています。でもキツいわりに給料が安く、毎日しんどいです。父親と折り合いが悪く、実家にも帰れません。バツイチ子持ちですが、子どもは自立していて頼りたくありません。年齢、体力的にしんどいことが多く、家で泣いてしまうことも。情けない限りです。持病があり、病院代もありますし、生活はキツキツです。お恥ずかしながら薄給のため、交通費も出せず、遠くには行けません」

美恵さんは、千葉県在住。持っているお金は数百円しかなく、定期券で行ける場所までしか行けないという。

シングルマザーだった美恵さんは、ずっと大手ECサイトの倉庫でピッキングや梱包する派遣労働者だった。コロナによって失業し、あらゆる非正規やパート労働を断られた果てに、昨年5月にようやく施設警備の仕事を見つけている。

「もうずっと収入が低くてボロボロです。コロナの時期に倉庫の仕事がなくなって、ほかの仕事もまったく見つからなかった。最終的に行政に貧困や就労の相談に乗ってもらって、ようやく警備の仕事が見つかって生き延びています。17年前、子どもが10歳のときに離婚して、元夫に養育費を踏み倒されました。それからずっと徹底的に貧しい。普通の暮らしはしたことがありません」

使い古した量産型格安ブランドの春物コートに身を包み、ボロボロのスニーカーを履いていた。お金がないことは見た目でわかった。彼女は賃金があまりに安いことで普通の暮らしができない典型的な非正規労働者だった。

「ピッキングの仕事のお給料は手取り12万円くらい。週4日とか5日やってそれくらい。交通費がでないので2、3万円は交通費です。最寄駅までバスを使って40分かかる団地に住んでいて、バスも1時間に1本とか2本しかない。始業は8時、朝4時に起きて5時12分の始発のバスに乗って通勤です。それで幕張本郷か海浜幕張駅から派遣会社が用意したバスに乗って、海沿いの倉庫に行くんです」

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