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軽視される「家庭科」を学ぶ意義はどこにあるのか 調理や裁縫に加えて、資産形成も教えるように

東洋経済オンライン / 2021年7月2日 10時0分

家庭科の授業は調理実習と裁縫だけではない?2022年度から高校の授業では資産形成についても教えるらしく……(写真:ペイレスイメージズ1(モデル)/PIXTA)

家庭科の授業が、調理実習と裁縫だけと思っている人は、認識が古いかもしれない。2022年度から始まる高校授業の新学習指導要領では、何と資産形成の視点に触れるように規定している。株式や債券、投資信託など、基本的な金融商品についても教えることになるのだ。なぜ家庭科の守備範囲が、資産形成まで教えるほど広くなっているのだろうか。

高校の常勤家庭科教師のAさんは、資産形成について教えることには戸惑いがあると明かす。「株式などについては社会科でもやりますが、家庭科では自分事として具体的に、何を選ぶかなどを考えることになります。私は投資の経験が一つもないのは不安なので、とりあえず証券会社に口座を開きました。教えるために投信を始める、と言っている先生もいます」。

Aさんが使用する第一学習社の家庭科教科書には、「将来の経済生活を考える」という項目がある。家計や貯蓄、私的保険について解説。金融商品の選び方、というコラムはあるが、具体的な金融商品についてはまだ記されていない。

■子育てから介護、民法、ライフプランまで

実はすでに、家庭科の守備範囲は相当広くなっている。

「家庭科はすべての分野について、家の中にあるものを教えることになる。すでにいろいろなものを引き受けているんです」とAさん。勤務する高校では、2年生の際に1年間しか教えられないので、「教科書の内容を、一通り教えるようにしている。衣食住はもちろん、子育てプログラムや高齢者の介護体験、家族形成、民法、そしてライフプランの教え方までを、週2コマ1年間で教えなければなりません」

Aさんは、「私は3年前に現在の学校に着任したのですが、前任の先生は保育や被服は教えていませんでした。その先生に教わった生徒たちは、調理実習や家政経済、家族についてしか学ばなかったのです」と明かす。盛りだくさんすぎるとはいえ、教育内容が教師によってばらつきが出ても大丈夫なのだろうか。

資産うんぬん以前に、さまざまな負担を抱える家庭科。しかし、大学受験にはかかわりないことから、現場では軽視される傾向がある。Aさんは常勤だが非常勤講師も多い。家庭科にはそもそもどういう役割があり、なぜこんなに負担が大きいのか。

中学・高校の家庭科教師の経験もある、鶴田敦子元聖心女子大学教授によると、家庭科は大きく3つの分野で成り立っている。1つ目は家族、家庭、保育といった、ヒトに関すること。2つ目はモノに関する衣食住の生活で、調理や裁縫が入る。3つ目は消費・経済生活と環境などの事柄。「学ぶことがたくさんあるのは、さまざまなことが絡み合って生活が成り立っていること、かつつねに変化しているからで、当然と思います」と鶴田元教授は話す。

資産形成を教える是非については、「投資への誘いが社会に出回ると、そこにはどういう背景があり、メリット・デメリットは何か、社会保障とは関係があるかないかなど、考える機会があってもいいと思います。しかしそれは、経済社会と自分たちの経済生活の関係を理解する教材にするためであり、資産を増やしなさいと教師や教科書が誘導するのは違うと思います」と鶴田元教授。

また、家庭科の意義については、日常生活がすべての活動の土台であることを確認することや、生活を営む力を身につける必要があること、そして、生死や、社会、経済、自然などとの関係においても重要だと語る。「家庭科は、憲法25条が定める権利である健康で文化的な生活を実現する、総合的な学習としてあります」。

■政治事情に翻弄されやすい教科

だが家庭科はまた、政治の事情に翻弄される象徴的な科目でもある。『家庭科教育50年』を手がかりに歴史をたどってみよう。家庭科は戦後、GHQの民間情報教育局(CIE)主導で生まれた新設教科だった。「民主的な家族関係による家庭を築くために学ぶ教科」と位置づけられ、新しい日本を作る人間に育てる期待が込められていた。1947年に発行された小学校の学習指導要領では、良妻賢母教育だった「これまでの家事科と違って、男女ともにこれを課することをたてまえとする」と記されている。そして、学習指導要領の位置づけはガイドラインだった。

ところがその後冷戦時代に入り、政府は経済発展への貢献に求めるようになる。1958年に学習指導要領が改訂されると、家庭科は女子が家事処理技術を習得する科目へ舵を切った。しかもこの学習指導要領は、ガイドラインから「教育課程の国家基準」、と拘束力を持つものに変化する。つまり、夫が会社の歯車として仕事に専念できるよう、生活面を全面的に支える妻の予備軍育成を求めたのだ。実際、この時期は効率的な性別役割分担により、日本は奇跡的な経済復興と発展を遂げていく。

しかし、オイルショックで時代は変わり、女性の社会進出が始まる。男女差別解消を求める世界的なフェミニズム・ムーブメントもあり、欧米は差別解消へ舵を切るが、日本はその後もなかなか変化が進まない。

それでも1985年に女子差別撤廃条約を批准したことから、1989年の学習指導要領の改訂で、男女が協力して家庭生活を築くことなどの観点が定められる。そして、家庭科は1993年に中学で、1994年に高校で男女共修となったのである。

ところが1990年代末頃からジェンダー・バックラッシュが起こり、家庭科のみならず教科書から「ジェンダー」という言葉が消えた。「これからいい実践をつくり出そう、という時期にジェンダー平等教育が弱まり、家庭科教育も大きく攻撃されました」と鶴田元教授は言う。

そして、受験の実績や学力テストの結果が重視される中で、受験科目でない家庭科の軽視は強まっていく。鶴田元教授によると、以前は中学校でも3年間全体で週6時間ずつ家庭科の時間があった時もあったが、現在は3年間で週2.5時間しかなく、専任教諭を置かない学校も出てきている。中には1校で常勤、ほか2校で非常勤の掛け持ちを強いられるような例もあるという。

また、「高校も3年間で週2時間、という以前の半分の時間数しかない科目を設定する学校が、8割以上となっている」と指摘する。「そんな環境で、生徒の現実の生活に即した教育を行うことは困難。1校に1人程度しか家庭科教師がいないため、職員会議で家庭科のことを話すことはままならない、といった状況がある」。

■「家庭科は家で教えられる」というのは誤解

生活に関わることなら、家庭で教えればいいという主張もある。しかし、鶴田元教授は、家庭で衣食住の生活のうち教えられることはごくわずかだと主張する。「誰もがその時代の科学の最高水準の真理を学び、誰もが一定の水準の文化を習得できるようにするのが、公教育である学校教育の使命であり子どもの権利です」。

明治時代、学校教育が始まり、親などから生活に必要な技術や知識を学んでいた子どもたちは、抽象的な教科教育を受けて産業社会の発展に役立つ人材になった一方、地域からは次第に離れていった。実生活と教育が乖離したからである。

家庭科はそういう意味で、自分の生活に照らし合わせて学問の意義を実感する希少な教科と言える。保護者が料理する余裕もないとき、家庭科で学んだ料理を作ることができる。ボタンが取れたときに自分でつけることができるのも、裁縫を学んだからである。

生活に関わる基礎知識があれば、自活したときに役に立つ。また、資産形成を学ぶ場合は社会科で金融経済の仕組みを学んでいなければ理解が難しい。ほかの授業が実生活でどう役立つのか、試すことができる教科とも言える。

生きる力を養う教科なのに、今はほとんど学ぶ時間がない。圧縮して教える教師は負担が大きいのに、立場は弱い。本当にそれでよいのか。金融商品の解説の前に、やることはたくさんあるのではないだろうか。

阿古 真理:作家・生活史研究家

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