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人事に翻弄された菅原道真「学閥出身者」の悲劇 栄光と転落の人生に見える「嫉妬」の影

東洋経済オンライン / 2021年10月8日 16時0分

菅原道真の栄光と転落の人生と、平安時代の「人事」問題(写真:けいわい/PIXTA)

現代を生きる私たちの多くは、なんらかの組織に属し、組織人として生きている。そして、組織のなかで生きる以上、「人事」は無視できないだろう。もちろん、「人事」が重要なのは現代に限らない。

歴史学の第一人者たちである遠山美都男、関幸彦、山本博文の3氏が「抜擢」「派閥」「左遷」「昇進」などから歴史を読み解いたユニークな日本通史『人事の日本史』。本書から、菅原道真の「『学閥』出身者の悲劇」について紹介する。

■菅原道真を通して見る平安時代の「人事」問題

「学問の神様」として名高い菅原道真が大宰府で亡くなって、およそ1120年。道真の59年の生涯はそれ自体が「人事」の日本史の格好の素材と言ってよい。本項では道真の栄光と転落の人生を通して、平安時代の生々しい「人事」問題を垣間見ることにしたい。

道真が誕生したのは845年。父親は晩年に参議にまで昇り詰めた是善だ。菅原氏はもとは土師氏と称しており、天武天皇が制定した「八色の姓」で第三位の宿禰を賜っていたから、辛うじて五位以上に昇進できる資格はもっていたことになる。

だが、天皇家と密着し、「人事」でつねに有利な条件を占めていた藤原氏とは異なり、土師氏のような氏族が政官界で生き延びるには種々の知恵と努力が必要だ。781年、道真の曽祖父古人が桓武天皇に願い出、土師宿禰を菅原朝臣(菅原は一族の本拠地)に改めたのはその表れだった。土師氏改め菅原氏は学問で身を立て、政官界に打って出ようと決意したのだ。

だから、道真は幼少の頃より父から厳しい教育を受け、さらに父の門人、島田忠臣からも詩文の指導を受けた。彼は後に、この忠臣のむすめ宣来子を娶っている。

道真にとって恵まれていたのは、菅家廊下と呼ばれる勉学の場を身近にもっていたことだ。これは彼の祖父清公が開いた私塾で、政官界に多数の有能な人材を輩出した。菅家廊下とは文字どおり、それが菅原氏私邸の廊下にあったことに由来する。長い廊下が教室に当てられ、廊下の北側には書庫が、廊下の突き当たりには後に道真の研究室兼応接室が置かれた。

道真は言わば、政治家や「官僚」を世に多数送り出す私立大学、または「政経塾」の創立者の一族に生まれ、そこで当時望みうる最高レベルの教育を受けたのだ。彼は生まれながらにして菅家廊下という一大「学閥」を率いる運命を負わされていたわけだ。若い道真の才能は菅家廊下で磨かれ、やがてそれは世間の耳目を集めることになる。

■道真の「官僚」人生の歩み

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