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「土佐日記」非日常的な不思議さに隠れた真実 「言葉のルールを破りまくった」紀貫之の目的

東洋経済オンライン / 2023年12月3日 8時0分

『土佐日記』の筆者である紀貫之は「言葉のレボリューション」を起こしたおじさんであった(写真:みさご/PIXTA)

日本語を母国語とする人にはなじみの薄い話題なのかもしれないが、近年では言葉を「中立化」させる動きが活発だ。その目的は言葉の性別をなくして、相手の立場にたち、相手が不愉快な思いをしないような表現を心がけるというもの。しかし、男性名詞と女性名詞が存在する、いわゆるロマンス諸語の場合、そうした「中立的な言葉遣い」を実現するのはなかなか難しい。

たとえばイタリア語。主体の性別が言葉の語尾に現れているため、偏った表現にならないように男女の形を併記したり、語尾をアステリスクなどの記号に置き換えたり……。

試行錯誤を重ねながら、さまざまな試みが行われている。それに対して、「なんだその言葉遣いは!!」と嘆く保守的な人もいれば、「これも試しちゃおう」と調子に乗る新しいモノ好きな人もいて、反応は十人十色である。

「言葉のレボリューション」を起こした紀貫之

ただ、これは今始まったことではない。社会の変容がもたらす「言葉のレボリューション」はいつの時代にも起きている。

日本の場合、社会の動きを正しく表現できる言語へのクエストは、平安時代まで遡る。中国から輸入された漢字、文字と音を力ずくでくっつけた万葉仮名、そしてひらがな……複数の表現方法が共存するなかで、平安人は四苦八苦していたのだが、彼らにとって、「中立化」どころか、言葉はなるべくはっきりと性別や教養などを表す身分証明書のようなものだった。

しかし、厳しい規則があれば破りたくなるのは人間の性である……。そこで、あるおじさんが小さな「言葉のレボリューション」を起こした。それは和歌のマイスター、紀貫之先生だ。

「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」というふうに始まる『土佐日記』は、まさしく「言葉のルールを破りまくる」という画期的な試みのもとに生まれている。

国司の任期を終えて帰京する紀貫之は本来の姿をくらまし、女性として筆を走らせるわけだが、「オトコ言葉」対「オンナ言葉」にとどまらず、本作はいろいろな「意外性」を秘めているのである。

秩序が何度も覆される

自分の内面や感情など、男性官人が日記のなかで書けなかったことを書くために、作者の紀貫之が、架空の女性に仮託しなければならなかったという解釈が現在の通説だが、50日以上も続く海の旅の間には不可解なことがたくさん起こって、『土佐日記』においては秩序が何度も覆されている。

まずは、身分違いや大人と子供の区別がしっちゃかめっちゃかだ。

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