1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

人気漫画家・望月ミネタロウが語る創作の源泉 バタアシ金魚、ドラゴンヘッド…傑作誕生秘話

東洋経済オンライン / 2024年1月3日 13時0分

『東京怪童』のときなんかは編集さんが毎回原稿を取りに来てくれてたんですけど、いつもめちゃめちゃ不安がってましたね。

面白く読んでもらうための苦悩

──マンガを描く作業の中で好きな部分と嫌いな部分は?

基本的に全部嫌なんですけど(笑)、これしかできないからやってるだけで。

その中で何が一番嫌いかといえばネームが嫌いですね。ネームが終われば、あとの作業はあまり悩まないので存外気楽にやれます。どうやったらこの話を理解してもらえるんだろう、どうやったらこのマンガを面白く読んでもらえるんだろうということばかり考えて、ずっと苦悩しています。

──作業中に音楽とかラジオとかかけますか?

昔はFM横浜をよく聴いていました。最近はSpotifyで適当に。

──今は結構、コワーキングスペースとかでもお仕事されるとか。

そうですね。カフェでもコワーキングスペースでも、タブレットだけあればどこでもできるので。ちょっと前に流行ったノマドってやつですかね(笑)。

まあ、今はこういうエッセイマンガを描いてるからできる、というのもありますけど。

──『ドラゴンヘッド』(講談社「ヤングマガジン」1994年~2000年)とかはもちろんアシスタントさんが入ってたと思いますけど、『バタアシ金魚』の頃のインタビューでは一人で描いてるというお話をされていましたね。

厳密に言えば友達に消しゴムかけとかベタ塗りは手伝ってもらってましたけど、正式なアシスタントはいませんでした。というか、アシスタントを雇うという概念自体がなかったです。

友達が遊びに来て横でカップラーメンとか食ってて、「消しゴムかけぐらいやってやろうか」って言うんでやってもらったら原稿ビリッて。で、「もうおまえ帰れ!」みたいな感じでしたね。

──ちゃんとアシスタントが入った作品というと、どのへんですか?

『ドラゴンヘッド』と『万祝』(講談社「ヤングマガジン」2002年~2008年)ですね。6人ぐらいでやってました。『東京怪童』も入ってたけど、2人ぐらいですかね。

『万祝』のときなんかはトーン作業が山のようにあって、むしろトーンで描くみたいな感じで、原稿が重ね貼ったトーンで物理的に重いんです。でも、だんだんそういう作業が減ってきたので、アシスタントも減っていき……という。人に頼みたいのも本当に自分が描けないところ、描くの面倒くさいなと思うところだけですね。

──バイクや車は自分で喜んで描く感じですか?

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください