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スタバの「フラペチーノ」に潜んでいる驚きの真実 「うちはコーヒーの会社」育ての親も反対だった

東洋経済オンライン / 2024年1月13日 12時0分

スタバがどのようにグローバルチェーンへと歩みを進めてきたのか。その立役者となった「フラペチーノ」をめぐる裏話とは?(写真:yu_photo/PIXTA)

日本で3番目に多い飲食チェーンなのに、令和の今もわれわれ消費者に特別な高揚感を与えてくれるスタバ。

ブランディングやマーケティングから見ても、一貫した理念や戦略があるように思えるが、実は「コーヒーを大切にしてきた歴史がある一方で、人気商品は、コーヒーとは正反対にも思えるフラペチーノである」など、矛盾とも思える部分も少なくない。

しかし、この「矛盾」こそが、スタバを「特別な場所」にしてきたのかもしれないーー。

『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』『ブックオフから考える 「なんとなく」から生まれた文化のインフラ』などの著作を持つ気鋭のチェーンストア研究家・谷頭和希氏による短期連載の第3回(第2回はこちら)。

前回は、スタバの創業時のエピソードを確認しながら、初期のスタバがローカルな個人店としてスタートしたことを見てきた。この時点でスタバはシアトルにある地元志向の個人店であり、現在われわれが知っているグローバルチェーンとしての姿はまったく持っていなかった。

【グラフ】キレイな右肩上がりを続ける「スタバ店舗数」の推移

今回はそんなスタバがどのようにグローバルチェーンへと歩みを進めていくのか、その歩みを見ていこう。その歩みの中に、この連載が語ろうとしているスタバの「矛盾」が現れてくる。

ハワード・シュルツの入社とイタリアでの衝撃

スタバがシアトルを中心として徐々に店舗数を増やしていた1982年、セールスマンだった一人の男が、スタバの噂を聞きつけた。その男が、ハワード・シュルツである。

ちょうどセールスマンの仕事に物足りなさを感じていたシュルツはスタバを訪れ、隅々までこだわりに満ちたこの店に感銘を受ける。すぐさま、スタバの創業者であるジェリー・ボールドウィンらと面会をしたシュルツは、ニューヨークからシアトルへ、アメリカ大陸を横断して、スタバに入社することになった。シュルツがいかにスタバに魅せられたのかがよくわかるエピソードだろう。

シュルツにとってスタバでの日々は刺激に満ちたものだったという。その勤務の中で彼はイタリアへ出張することになる。イタリアといえばコーヒー文化の中心地といってもよい。街中にカフェがひしめき、エスプレッソを中心とする豊潤なコーヒー文化が根付いていた。

シュルツもご多分に漏れず、そのコーヒー文化に感銘を受ける。シュルツはイタリアで現地のコーヒー文化に触れ、実際にそこで「カフェバー」文化が人々に根付いていることに衝撃を受ける。

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