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全国に名車続々登場、「私鉄特急」黄金期の記憶 近鉄「ビスタカーⅡ世」や東武DRCなどの勇姿

東洋経済オンライン / 2024年1月13日 6時30分

私は1976年にこの車内サービスの様子をある雑誌向けに大阪から同乗取材している。この際は近鉄のベテラン広報マンに同行してもらい、スチュワーデスと呼ばれた女性アテンダントの仕事ぶりをつぶさに取材した。

車内ではおしぼりサービスも

大阪(上本町)を出ると、スチュワーデスたちが温かいおしぼり(タオル)を配りはじめた。当時は飛行機に乗るとまずサービスされるのが温かいタオルのおしぼりで、名阪ノンストップ特急も同様におしぼりがサービスされたのだ。おしぼりを回収した後は、乗客の要望に合わせて飲み物や菓子類の注文を受けて販売する。

スチュワーデスは鮮やかなグリーンの派手な服で、そのためか同行してくれた広報マンが「少し派手なのか、サービス途中にいろいろ声をかけられるんですわ、アルサロ(アルバイトサロン)に来うへんかとか、キャバレーのスカウトマンが声をかけるんですわ」と苦笑いしていた。当時は乗客から「おしぼりネェちゃん」などと親しみを込めていわれていたという。

近鉄の看板列車だった名阪ノンストップ特急は新幹線の開業以降利用が低迷し、10100系も1975(昭和50)年には名阪特急の運用から離脱。1979年に全車両が廃車となった。

ビスタカーの系譜は1978年に登場した「ニュービスタカー」こと30000系に引き継がれたが、近鉄のフラッグシップトレインとして君臨した10100系がすべて姿を消したのは何とも寂しい気がする。

私が初めて乗った私鉄の有料特急は名古屋在住の18歳のとき、家族旅行だったか? 名古屋から特急「こだま」で上京して、浅草から東武「デラックスロマンスカー」で鬼怒川温泉へ行ったときのことである。

当時の花形特急電車151系「こだま」から乗り継いで「デラックスロマンスカー」に乗ったのだから印象に残っているだろうと思うが、当時の記憶はおぼろげだが「こだま」 車中の己が姿のスナップ写真が当時を呼び戻している。

私鉄特急は無料だった名鉄「パノラマカー」ですでに乗車済みだったが、今思えば両車とも随分個性的な電車だったわけだ。田舎者の私は、これらの華やかな私鉄特急に魅せられたのは言うまでもなく、蒸気機関車亡き後は、新たに新幹線や近代車両を求めて、昭和50年代初頭から東武、小田急、名鉄、南海、近鉄の特急を大判カラーフィルムで撮り歩き、ケイブンシャの大百科『特急 ・ 私鉄大百科』 (1976年9月初版)で発表した。

私鉄特急はカラー撮影に限る

今回「私鉄有料特急」をまとめるにあたり、いろいろな資料を見たが、当時の第一世代の私鉄特急がカラー写真で残っていないのには驚いた。

南海の20000系「こうや」などはウィキペディアですら車体の紹介は博物館の模型写真 (2023年10月現在)だから、いかに記録が乏しいかがわかる。

私はこの時代、大判フィルムか保存性を考えてコダクロームで撮影している。今、それらのフィルムをデジタル化して、今回の本で再録しているのだが、色調は自慢できるものばかりだ。この本の執筆をはじめて、改めて記録写真の重要性を感じたものだった。

私鉄電車はカラーフィルムで撮るに限る……、これが私の当時の教訓だった。

南 正時:鉄道写真家

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