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ものをいうのは読書量!古典を「センチ単位」で読め ビジネスエリートが実践する驚きの読書法

東洋経済オンライン / 2024年1月29日 20時0分

教養が足りなければ論理的な会話は成立しません(写真:zak/PIXTA)

低成長、円安、少子高齢化……今や何重苦も負っている日本で、未来への展望を抱けない人たちは多い。そんな中、投資家・シンガポール大教授として世界中を飛び回り、一流の人物たちとビジネスを動かしている田村耕太郎氏は、「日本人は海外で十分通用する」と語る。臆病で閉鎖的な状態から一歩踏み出すにはどうしたらいいのか。田村氏の著書『君は、こんなワクワクする世界を見ずに死ねるか!?』から、一部を抜粋・改編して紹介する。

スイスで学んだグローバル人材への関門

私が初めて外国に出たときの話をしよう。

最初は1980年代前半、スイスに留学した大学時代だ。

ホームステイ先のお父さんは、多国籍企業の重役。列強に囲まれた小国スイス人は多言語を操る。お母さんはフランス人。お父さんと子供はドイツ語と英語で話し、お母さんと子供はフランス語とドイツ語で話していた。当時、英語もアップアップだった私はとても衝撃を受けた。

あるとき、お父さんと2人きりでドライブに出かけた。お父さんは私に訊いた。

「コータロー、君は将来どうなりたいんだ?」

私は「世界を舞台に仕事をしたいです」と答えた。するとお父さんに、

「だったら君の英語じゃダメだ」

と、はっきり言われ、こう諭された。

「スイス人が外国語を見事に操るのに驚いているだろう。でもそれは小国だから仕方ない。だが、日本のような大きな経済でもやがては自国だけでやっていけなくなる。きっと将来、組織も社会もずっとグローバル化していく。そのとき必要なのは何より英語だ。フランス語もドイツ語も英語もほとんど同じアルファベットだ。けれど日本語は全然違う。日本人にとって英語を学ぶ不利さは並大抵じゃないだろう。けれど君の年齢だと、グローバル化の波に必ず巻き込まれる。君たち若者は、グローバル化から絶対に逃げられない。来るべき未来のために、君はもっと英語を学ばなくちゃいけない。今のレベルだと仕事では使えないよ」

すごく衝撃的だった。英語を学ぶ必要性は、それなりにわかっていたつもりだったが、ここまではっきりダメ出しされるとショックでもあった。

「大学だけじゃダメだ。MBA(Master of Business Administration=経営学修士)を取りなさい。グローバルな舞台でのパスポートになる。MBAってわかる? ビジネススクールだよ」

ビジネススクール? 専門学校のことか? その程度の知識しか私にはなかった。

しかし、後にこのことを思い出し、ビジネススクールやロースクールに進学することになる。

「僕の言葉が厳しく聞こえたかもしれない。でも、厳しいのは社会であって僕ではないんだよ」

そう言うと、お父さんはいつもの優しい笑顔に戻っていた。考えが甘かった私は正直傷ついたが、思い直してその悔しさを勉強にぶつけた。

社会は厳しい、だからこそ…

その日の午後から英語を猛特訓。子供たちや近所の同世代の大学生たちに交じって積極的に話し掛け、辞書を片手に家の中の本や雑誌も寝る前に斜め読みした。

今でもそのお父さんに心から感謝している。あのときはショックだったが、そこまで親身になってあの気づきを与えてくれるなんて、本当に自分を想ってくれていたのだと思う。

お父さんは生粋のスイス人で、強国に囲まれ、ヨーロッパの中でグローバル化せざるを得ないタフな環境で育ってきた。アインシュタインも卒業したスイス連邦工科大学に学び、フランスの名門インシアード(INSEAD)ビジネススクールでMBAを取得していた。国土も狭いし、資源も少ない。列強に囲まれ過酷な時代を生き抜いてきたスイス人は、傭兵から始まり、その後、時計製造や金融で身を起こしてきた。

永世中立国と言うが、それは〝はりねずみ〞政策。国民皆兵で武力で国を守るのだ。どこかの国のように「憲法9条を唱えていれば敵は攻めてこない」なんてナイーブな発想ではない。国際社会の厳しい現実を直視しながら国民が国を守り経済を育て、世界の力を活用して豊かになってきた。その歴史の中で生まれ育ち、世界的なグローバル企業の幹部であったお父さんの大人の言葉には、重みがあった。

世界に出る。英語を学ぶ。

後の私の人生の指針は、海外で気づいたもの。スイスのお父さんは、10代のときに僕の目を覚まさせてくれた、かけがえのない恩人だ。

ほどなく東京に帰って、東京イングリッシュフォーラムという英語の討論グループに参加し始めた。毎週土曜日の午後、前週に決めたテーマで2時から5時まで英語でディスカッションをする会だ。各国の大使館員やジャーナリスト、大企業の国際部門の人たちから私のような学生まで幅広いメンバーが参加していた。

教養がないと世界で通用しない

当時、この会のリーダーをされていたのが、佐々木賢治さんという男性だ。10年の滞米生活、J&Jの全米一の経口避妊薬会社Ortho本社勤務を最後に、国内大手証券会社勤務のため帰国直後。

名古屋大の理学部数学科を出て、自費でシカゴ大のMBAを取った猛者でもあった。

日本英語とはかけ離れた発音で、機関銃のように英語を話すその姿にいつも圧倒された。私のような若輩に対して非常に面倒見がよく、志から叩き込んでくれた。いわば現代版の吉田松陰のような人だ。この東京イングリッシュフォーラムも佐々木さんの私塾のようであった。佐々木さんは生意気な私に関心を持ち、よく飲みに連れて行ってくれるようになった。

私の英語力は飛躍的に向上していて、自分ではかなりのレベルにあると思い込んでいたのだが、ある日、佐々木さんは「田村君の英語は内容がない。教養が足りないからだ。教養がないと論理的に話せない。だから勢いはあっても説得力がないんだ」とストレートに言ってきた。

ディスカッションでも、佐々木さんほどではないがけっこうしゃべれるようになっていた私は、横っ面をグーで殴られたくらいの衝撃を受けた。

佐々木さんから、「大学でろくに勉強もしてないだろ。教養がないと世界で通用しないよ。そのためには時間が経っても生き残っている本を読め。それが古典だ。古典を読め!」と指導された。恥ずかしながら、大学時代は教科書さえまともに読んだことがなかった。なぜならテストの問題は毎年ほぼ同じであり、その解答を覚えるだけでよかったからだ。これが巷で〝レジャーランド〞と揶揄される日本の大学の実態だった。

佐々木さんは数学科出身だから頭は切れる。非常に論理的に考え、話すことができる。それでいてなお、アメリカのMBAで学び世界の金融の最先端であるニューヨークでしのぎを削ってきた。世界の舞台では「教養がないと仕事はできない」と痛感したようだ。「歴史や哲学や科学は、先の読めない変動の大きなグローバル化時代に先を照らす松明のような役割を果たしてくれる」と口酸っぱく言っていた。

数学科出身の佐々木さんは何でも計算する。彼は大学時代、図書館の本棚の幅をメジャーで測って365で割り、1日に何センチの本を読めば、図書館の棚を読破できるか計画を立てたという。「よし! 今日は15センチ。明日は週末だから30センチ読むぞ!」と決めて、あらゆる本を日々読み続け、大学を卒業する頃には図書館の主な書物を、すべて読み通してしまったという。

世界の古典をセンチ単位で読む

佐々木さんの指導は、まさに教養重視のリベラルアーツカレッジのようなものだ。暇さえあれば常に読書をする癖をつけてくれた。それからというもの私は、『孫子』に、『ローマ帝国衰亡史』に、宗教に、宇宙、遺伝子に……学問の基となる古典の本を、片っ端から読み出した。佐々木さんのやり方にならい、厚さを測って図書館の本を乱読した。なかには超つまらない本もあるが、それらは流し読み。流し読みでも若いうちはけっこう頭に入っていくものだ。雑学王のようになってきた。

そこで読んだチャールズ・ダーウィンの『種の起源』、ルキウス・アンナエウス・セネカの『人生の短さについて』、ニッコロ・マキアヴェリの『君主論』、アダム・スミスの『国富論』などは、後にどこでも役立った。時代を超えてサバイバルしている本は、賞味期限数年のベストセラーと違う。中身も格式も段違いに素晴らしく、その全編を貫く朽ち果てない理論や本質はあらゆる物事に応用可能だった。

人間や企業行動を分析するとき、進化論や君主論がいかに役立ったか。人間関係でも「孫子の兵法」は使える。「戦わずして勝つ」のがいい人生であり、勝負の鉄則だと思った。

会話に教養を見せることは、人脈を広げるのに役立つ

大学院の2年目につかんだ単位交換留学で、フランスのグランゼコール(フランス独自の国立高等専門教育機関。少数精鋭で入学のハードルは高いが、卒業後はその分野のエリートとしての評価を受ける)に留学したが、そこでこれらの知識は大いに生きた。グランゼコールは社交が盛ん。毎週華やかなダンスパーティーがあった。ダンスも適当にできた方がいいが、ここでの会話に教養を見せることは自分を印象付け、人脈を広げるのに役に立った。フランス語の壁があって勉強ではあまり貢献できなかったが(というより実際はかなりの落ちこぼれ)、パーティーでの背伸びした教養話とスポーツ活動での身体を張った貢献で、留学を乗り切った。

社会人になってからの最初の仕事は企業買収の仲介。自分の父親や祖父のような世代の経営者に会って、会社の買収や身売りを説くのが仕事。大人びた教養で話をつないで印象付けることができたことで、3年目から立て続けに大仕事を成し遂げ、その実績で企業派遣での海外留学を勝ち取れた。

先述の佐々木賢治さんは今、名古屋で〝私塾〞を開設している。その名も「佐々木インターナショナルアカデミー」。英語学習、英米留学、国際ビジネスなどの支援を事業としている。日本有数の留学支援実績を誇り、地域の企業のグローバル化支援に多大な貢献をしている。中部地域で留学を目指す方、使える英語を学びたい方、グローバルにビジネスを展開したい方に、オススメである。

海外の古典を読み通して気づいたのは、本当にいいものはシンプルに書いてあるということ。私の読書の基準は、「必要以上に難解な書物はあまり読む価値がない」というもの。難解な表現が多い書物の背景にある著者の特性は2つだ。1つは、見栄っ張り。たいして意味もないことをあえて難解に書くことで権威付けようとする姿勢だ。こんな著者の作品は読む時間がもったいない。

世の中に役立つものはシンプルなもの

もう1つは気配りがない。読み手に対して配慮がないのだ。ただこの場合気をつけなくてならないのは、配慮が足らなくても優れたものはあるということ。天才型の人にもこういう人が多い。天才は得てして自分勝手な人たちなので、そもそも他者への配慮がない。自分と同じくらいの理解力があるのが当たり前だと思っている。こういう人の書いた本にはいいものがあるので、その場合、頑張って読むしかない。

シンプルで平易といえば、マクロ経済学の生みの親である、ジョン・メイナード・ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』も朽ち果てない名著だが、官僚であり投資家でもあった彼が経済学に求めたのは「シンプルな実学たること」。ケインズは師アルフレッド・マーシャルの追悼文で、〝経済学者の本業はパンフレットを書くことだ〞と述べた。経済学者は難解な論文を書くのではなく、大衆にわかるような簡易な処方箋を書くべきと彼は言いたかったのだ。

「無駄に難解」という意味では、原著よりひどいと思ったのが日本の翻訳。宗教から歴史から哲学までこれらは難解なものが多い。その多くは、権威付けだと思う。原文や英訳で読めばとてもシンプルで身近にさえ思えるような表現なのだが、「簡単にわかってもらっちゃあ、こちらの権威や仕事がなくなってしまう」ということだろう。

田村 耕太郎:国立シンガポール大学リークワンユー公共政策大学院兼任教授、2024年一橋大学ビジネススクール客員教授

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